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2008年06月18日(水) 14時22分

悪いことを社会のせいにする大人に問題ありオーマイニュース

 忌まわしい秋葉原通り魔殺傷事件から1週間以上が過ぎた。

 事件を起こした加藤容疑者が派遣社員であり、「契約更新をされなかったことから生活に不安を感じた」と供述していることから、事件の背景として「派遣労働など不安定な労働条件や格差社会に原因がある」とする見方は意外に根強いようだ。

 しかし、このようなタイプの事件、つまり個人的な不幸から社会全体に反感を持ち、無関係な他人に刃を向けるという類の事件は、過去にも、いくつか存在している。

 例えば古くは、1968年(昭和43年)に交番から拳銃を奪った挙げ句、東京・京都・名古屋で4名を射殺した永山則夫(当時19歳)は、貧困な家庭で育ったことから、公判で「資本主義が貧困を生み、貧困が自分を無知な人間にした」と主張し、世間を驚かせた。

 1971年(昭和46年)に群馬県で女性8人の連続性的暴行殺人を行った大久保清も、警察での事情聴取で、警察や国家権力への反感を口にしたと言われている。

 あるいは1980年(昭和55年)8月19日に発生した新宿駅西口バス放火事件でも、バスに放火して6人を殺害、14人に重軽傷を負わせた容疑者の男は社会に対する不満を口にしていたという。

 要するに。ささいなことから世の中全体に恨みを持つ犯罪者はいつの時代にも存在するのである。派遣労働や格差社会のせいにするのは正しくない。

 ただ、このような事件の原因が、「社会にある」とするのはある意味、正しいかもしれない。というのは今、個人の失敗を安易に社会全体の責任にする風潮は確実に広がっているからである。

 その代表的な例は、何でもかんでも学校に抗議する保護者たち、いわゆる「モンスターペアレント」である。

 私の周辺には教育関係者がいるのでいまどきの学校事情を聞くことも多いのだが、そこで必ずよく聞く話はモンスターペアレントの存在である。

 なぜ、こうなったのだろうか。特に90年代以降であるが、「子供の人権」が声高に叫ばれるようになった。その結果、学校現場では教師と生徒の上下関係は否定され、学校はサービス業化し、子供はお客さま、神さま扱いされるようになって来た。

 もちろん、事件の真相が究明されてない段階で、加藤容疑者の両親がモンスターペアレントだと断定できるはずもないが、加藤容疑者は普段から社会や周囲にたいする不満を口にしていたことから、個人の不満を安易に世の中に向ける傾向が周囲にはあった、といっていいだろう。加藤容疑者が小中学生だったのはちょうど90年代である。

 そして今の小学生は15年後には社会人になる。子供の問題はすべて学校と社会にあるとする親たち。

 そのような親から「お客さま扱い」されて育ち、他人を尊敬することを学ばない子供が社会に出た時、日本社会は一体どうなるのだろうか。たとえ、景気が回復し、格差社会が改善されたとしても、そのような育ち方をした子供が他者を大事にするとは思えない。

 ついでにいうと、永山則夫の兄は同じような境遇で育ったが、犯罪に走ることはなかった。また、大久保清の場合、少年時代から性的暴行事件を繰り返していたが、親は「お前は悪くない」と大久保をかばい続けたという。

(記者:長迫 厚樹)

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