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2008年06月16日(月) 12時30分

「悪徳商法?マニアックス」管理人の提訴に違和感オーマイニュース

 悪徳商法を告発するウェブサイト「悪徳商法? マニアックス」(悪マニ)の管理人・吉本敏洋氏による「株式会社はてな」(近藤淳也社長)の提訴(6月10日)には、強い違和感を覚える。

 これは、「はてな」が嫌がらせ書き込みを放置しているとして、100万円の損害賠償と発信者情報の開示を、吉本氏がはてなに対して求めた訴訟である。

 告発サイトの管理人が、自分たちに対する嫌がらせの書き込みの責任を追及する訴訟を起こす構図自体に矛盾を感じるが、特に違和感を覚えたのは吉本氏の訴訟観である。

 吉本氏は提訴理由を説明した「悪マニ」上で独特の訴訟観を披露した。

 『訴訟というのは、契約時に名前を書類に書くような単なる「手続き」であり、発生した損害については、きちんと賠償してくれれば良いだけのことです』

 日本では裁判を意味もなく忌避する人が多い。裁判をするくらいならば泣き寝入りを選択する消費者が少なくないのが残念な現実である。実際に裁判まで行う消費者が少ないことを見越して、悪徳業者は違法行為も平然と正当化する。

 記者は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から購入したマンションでトラブル経験がある。最終的に裁判になったが、提訴前の協議の場で東急不動産の課長から「不満があるならば裁判でも行政でも好きなところに行って下さい」とたんかを切られた。裁判では負けると分かっていても「どうせ裁判をしないだろう」とたかをくくって、強気な態度を押し通したのである。

 この意味で訴訟を単なる手続きと割り切る吉本氏の主張は新鮮である。しかし、契約と訴訟を同一視することには非常に大きな問題がある。

 なぜなら、契約は自由意思に基づくものだが、訴訟は相手の意思に反して行わせる強制力がある。この点において契約と訴訟は決定的に異なる。

 しかも、この相違は悪徳商法の告発者にとって大きな意味を持つ。

 悪徳商法が悪徳であるのは、消費者の自由意思に反して締結されるもの故である。押し売りや脅迫まがいのセールスが自由意思に反することは言うまでもない。詐欺も物理的な圧力はかけられていないとしても、真相を知っていたならば契約締結をしなかったはずであり、その意味で自由意思を損なうものである。

 吉本氏の訴訟観は自由意思を無視する点で、悪徳商法を糾弾する立場にとって、非常に危険である。「良心的な商売も悪徳商法も単なる手続きであり、消費者は商品に対して代金を払ってくれれば良いのです」という類の悪徳商法を正当化する論理に結びつきかねない。

 原告側にとっては訴えたいから訴えるのであり、その意味で自由意思に基づくもので、契約締結と変わらないと反論されるかもしれない。しかし、そのような発想は被告となる相手を無視している。自分の利益の追求のみで、相手の立場を考えない点で、むしろ悪徳業者の発想と親和性を持つ。

 契約締結は、契約しない自由がある。これに対して被告とされたならば好むと好まざるとにかかわらず、裁判手続きに巻き込まれる。裁判を起こすということは、相手の自由意思を侵害するものである。相手の自由意思を侵害してでも、要求すべき内容があるから訴えるのであるが、最低限、相手の意に反することをしていることに対する自覚を持つべきである。

 いわば相手に殴りかかるのだから、自分が殴られる覚悟もしなければならない。「殴られろ」と主張するつもりはない。殴られたならば倍にして殴り返すくらいの意気で臨めばよい。主張したいことは自分が戦う以上、相手も戦いを挑んでくることを忘れてはならないということである。

 「裁判に訴えることこそが、はてなのためになる」という吉本氏の主張は、あまりに都合がよく自己中心的に思える。実際、吉本氏が嫌がらせの実行者として名指しで挙げた人物は、自分のブログで、吉本氏こそが嫌がらせを繰り返していると全面的に反論している。

 吉本氏は「はてなには、裁判を通じて「心」を取り戻して欲しいと考えております」と主張する。一方で、心を見られるのは「はてな」だけではない。吉本氏も悪徳商法を糾弾する心に邪心はないか、評価される立場にある。

(記者:林田 力)

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