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2008年06月15日(日) 13時29分

岩手・宮城内陸地震の被災者が語る「足の震え止まらず、余震も恐怖」オーマイニュース

 14日午前8時43分ごろ、岩手県内陸部を震源とするM7.2の「岩手・宮城内陸地震」が発生、各種報道を総合すると、現在までに死者6人、行方不明者11人、負傷者150人以上が確認されている。

 最大震度は岩手県奥州市と宮城県栗原市で震度6強。また、宮城県大崎市で震度6弱を記録した。

 そこで岩手、宮城両県の人達に電話で話を聞いた。

◆とにかく歩けない!

 まず、岩手県奥州市在住の商店主の男性Kさん。現在、4階建てのビルを所有し、その4階に居住、1階には自らの店舗を有し、2〜3階はテナントが入居する。

 奥州市は2006年2月に水沢市、江刺市、前沢町、胆沢町、衣川村の5市町村が合併して誕生しており、Kさんは旧水沢市に在住している。現在、水沢市は水沢区となり、奥州市役所もある同市の中心地だ。

 地震発生時、Kさんは店の掃除を終え、レジを立ち上げた時だったという。

「突然、変な音がしました。地震だなと思っていたら、いきなり強い揺れがきた。とにかく歩けないんですよ。しかも強い揺れが感覚として30〜40秒くらいだったでしょうか。そのあとゆっくりの揺れが長く続きました。揺れが収まった後も足が震えていました。地震の最中に棚の商品が頭の上に落ちてきてハラハラしました」

 地震後はテナント先に貸し出している2〜3階を見回ったという。

「揺れのせいなのか防火扉は全て勝手に閉まっていました。また消火器もすべて倒れていて、天井のエアコンカバーも軒並み落ちていました」

 自宅内でも食器棚から飛び出した食器が床に落ちて破片が散乱し、2台あったテレビもテレビ台から落下した。

 Kさんは地震というと1968年5月に北海道襟裳岬東南東沖120kmを震源とした1968年十勝沖地震を思い出すという。この地震は、震源が北海道沖ながら東北地方全域に強い揺れをもたらし、Kさんの住む現在の奥州市水沢区は震度4だった。

 「十勝沖地震の時もかなり揺れました。でも今回の地震は比べものになりませんでした」と話すKさん。

 もっとも今回の地震ではKさんの自宅周辺では家屋倒壊など目立った被害もなく、菩提寺のKさんの家の墓石は倒壊はしていなかった。「多分、被害がひどいのは震源に近い山側の地域」とのこと。

◆余震への恐怖

 もっとも現在の不安は余震だ。Kさんが続ける。

 「フラスコに水を入れたものを置いていますが、その水が大雑把に言って、10分間隔で揺れています。うちは足の悪い老人がいることもあって、夜に震度5クラスの余震が来てエレベーターが止まったりすると、避難や外出にも困ります」

 一方、宮城県側で被害がひどかった栗原市の沼倉地区に実家があり、現在は宮城県南部在住のAさんは、何度も実家に連絡をとり、ようやく電話がつながった。

 「家の中でモノが倒れたりしたのは当然のこと。それだけではなく周囲の水田や田畑で地割れが起きて深刻です」

 また震源からは遠いが震度5弱を記録した宮城県南部の亘理町在住のHさんは、地震発生時の様子を次のように語ってくれた。

 「自宅2階の台所で洗い物をしていた時、テレビで緊急地震速報が出ました。それから間髪おかずにミシミシと左右に家が揺れ始めました。すぐに階下にいる夫に声をかけようとして階段のところまで行きましたが、階段が左右に揺れているんです。瞬間的に『家が潰れる』と動転してしまいました」

 階段の入り口の左右の壁に両手両足をつけて踏ん張って、揺れが収まるのを待った。

 現在も余震が続いているため、いつでも避難できるように最低限の装備をまとめて備えているという。

(記者:村上 和巳)

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