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2008年06月15日(日) 00時46分

岩手・宮城内陸地震 「駒の湯温泉」一瞬で泥の海に毎日新聞

 崩れた土砂が人や旅館をのみ込み、寸断された道路によって人々が孤立した。中国・四川大地震の記憶が生々しい中、14日・土曜日の朝を襲った「岩手・宮城内陸地震」。直下型の激しい揺れで5人が死亡したほか、不明者や多数のけが人が出た。断続的に余震も起き、住民の不安は続いている。

 「もうおしまいだと思った」。土石流にのみ込まれ、客と従業員とみられる7人が行方不明になっている宮城県栗原市の旅館「駒の湯温泉」(菅原昭夫さん経営)。土砂の中から自力で脱出した昭夫さんの父孝さん(86)が、搬送先の市立栗原中央病院で毎日新聞の取材に応じ、その時の恐怖を語るとともに、不明者を案じた。

 山間部にある同温泉は栗駒山の登山口にあり、孝さんらが家族で営んでいる。1回目の強い揺れを感じたとき、孝さんは宿泊施設近くの自宅にいた。「強い地震だったなあ」と家族と言葉を交わし、宿の様子を見ようと玄関に入り、再び外に出たところ2回目の強い揺れに襲われた。

 「グォー」という地響きとともに一瞬で土砂に押し倒され、「泥が迫ってくる」と思ったときには頭から泥をかぶっていたという。一瞬、周囲が見えたが「一面、泥の海だった」。必死にはい出ようとしたが踏ん張りがきかず体を動かせない。すぐにも崩れ落ちそうな泥の固まりが近くにあり、「ぐずぐずしていられない。このままではまた崩れる」と思った。向かいの山が崩落しているのも見えた。腹ばいで腕に力を込め、何度も何度もはい出ようと繰り返した。

 どのぐらいもがいたか分からない。ようやく立ち上がれた時、宿の方で「助けてー」と叫び声が聞こえたという。その後、病院に搬送されるまでのことは、はっきり覚えていない。

 孝さんは病室のベッドに横たわり、「ほかの人はどうなった」と看護師を見つめた。従業員の親類が病室を訪れると「自分は命拾いできたが……」と不明者の安否を気遣った。【町田徳丈】

 ◇不明の2人、地域づくりの委員会出席のため宿泊

 「駒の湯温泉」で行方不明とみられるうちの2人は、東京都葛飾区、地域づくりプランナー、麦屋弥生(むぎや・やよい)さん(48)と東京都北区、鉄道博物館学芸員、岸由一郎(ゆういちろう)さん(35)。

 麦屋さんは、金沢市を拠点に観光地づくりのフリープランナーとして、自治体へのアドバイスや企業の広報などを担当。栗原市は06年10月、「田園観光都市」を目指して担当部署(くりはら研究所)を設け、アドバイザーに招いた。

 岸さんは、さいたま市に新設された鉄道博物館の学芸員。地方の中小私鉄の車両などを研究。縮小されたり廃線になった私鉄の資料保存にも取り組んだ。

 2人は、07年3月に廃線となった第三セクター「くりはら田園鉄道」(栗原市)の保存・活用方法などを話し合う検討委員会の委員に就任。13日に委員会が開かれたため、駒の湯温泉に宿泊していたという。

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