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2008年06月13日(金) 15時13分

イスファハンは世界の半分、旅の上級者と呼ばれてオーマイニュース

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 地球一周40000キロを自転車で走る。壮大な夢を抱いて僕は世界へ飛び出した。カスピ海沿岸地方を経て、テヘランへ。日本語が達者な地元イラン人に話しかけられる。

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 「イスファハンは世界の半分」という格言がある。16世紀末からサファビー朝の首都として栄えたこの町は、そううたわれるほど繁栄した。

 テヘランから4日間の道のり、僕はイラン中央部の古都・イスファハンに到着した。ザーヤンデ川のほとり、古くからシルクロードの要衝として発達したオアシス都市であり、乾燥地帯を越えてきた僕はまずその緑の豊富さにほっとした。川には17世紀以来の由緒ある橋が幾本も残り、歩いて渡ることもできた。対岸にはアルメニア人地区があり、イランには珍しいキリスト教会が集まっていた。

 一方「世界の4分の1は駐車場である」という冗談がある。イスファハンの象徴といえばエマーム広場。縦500メートル程の長方形をした大きな広場は、青タイルが色鮮やかな王のモスクや7階建ての高層建築・アリカプ宮殿など歴史的名建築に囲まれているのだが、その北半分が駐車場であり国産車のペイカンがずらりと並んでいた。

「世界の4分の1は駐車場」って何だ?

 僕は最初イスファハンに着いてすぐの真っ昼間に心躍らせながら訪れたのだが、暑さのためか閑散とし土産物店も活気がなく、駐車場の存在感ばかりが目立つような気がして興ざめだった。

 しかし夜に再び赴くと雰囲気ががらりと変わっていて驚いた。南半分の噴水周辺の緑地帯が所狭しと大勢の家族連れに埋められていた。弁当を広げ得意のピクニックを楽しんでいるのだ。広場を1周する馬車も営業を開始し活況を呈していた。外国人旅行者の定宿「アミール・カビール」の情報ノートによると、この夜闇に紛れて外国人とおしゃべりをしてみたい地元の女子大生がこっそり話しかけてくるといううわさがあった。僕はどきどき胸を高鳴らせながら歩き回ったが、ついぞそんなうれしい出会いには巡り合わなかった。

 シーラーズとペルセポリスを訪れるために中抜けした日を含め、僕はイスファハンには1週間余り滞在した。ビザを延長する用事もあった。しかし大抵の旅行者はわずか2日ほどで去っていった。イスタンブールやカイロのように長居する者はいなかった。

 ある朝僕は6人部屋に1人ぼっち、店の近所で焼きたてのバルバリーを買い携行しているジャムを塗って朝食としていた。その方が安上がりだし楽だった。と、階段を上る足音がしてザックを背負った2人組がやってきた。学生風の日本人で1人は小柄で童顔、もう1人は大柄でロンゲだった。ロンゲくんの方が僕を見るなり言った。

 「上級者の朝食っすね」

 僕たちはまだ何の自己紹介もしていなかった。彼らは僕がチャリダーであることを知らないし、日本を離れて1年3カ月になることも知らない。しかし彼は僕を一目見て「上級者」だと言ってのけたのだ。思わず大笑いした。ロンゲくんも童顔くんも笑っていた。笑いながら僕は僕自身の旅がやんわりと変質しているような気がした。

 北米大陸を旅していたころ、僕はまだ初心者だった。メキシコシティのペンションアミーゴで初めて日本人宿というものに泊まったが、あのとき一緒だったニイさん、ユウコさん、エリコさんたちはみな自分より年上だった。

 大西洋を越えヨーロッパから中東、アフリカへと南下する過程で、僕は段々長期旅行の術というものを覚えてきた。それこそパンとジャムで朝食を済ませたり、ひも1本でところ構わず洗濯物をぶら下げたりするようになった。あるいは現地の店主との料金交渉に長(た)けるようになった。それでも当時僕は多分まだ中級者だった。ユーシさんやヒロさんなど僕より年上の旅行者は多かったし、ハヤシくんのように年下であっても旅行歴の長い相手が大半だったからだ。みんな中国やタイから旅を始めアジア大陸を越え、1年以上の経験を積んでアフリカに挑んできていた。

 その点イスタンブールは不思議な場所だった。アジア横断を果たした猛者がごろごろする反面、ヨーロッパをおしゃれに旅行し、ちょっとアジアをかいま見に来たような短期旅行者も多かった。イーダさんのようにアフリカ帰りもほかにいたから、僕はとりたてて自分の旅行経験値が高いとは思っていなかった。

 それがここ最近明らかに変わってきた。旅に出て1年以上だというだけでまず驚かれる。アフリカを縦断したと言うとさらにびっくりされる。しかも自転車だと言えば、もはやありえない話のような顔をされる。インドやパキスタンを越えてきた旅人も、アフリカと聞くとまるで別世界のような反応を示し、自然と特別視されてしまうのだ。

 「すごいっすね」。それは大概そんな簡単な形容詞で決めつけられた。なんだか複雑な気分だった。

【2002年8月30日
 出発から21579キロ(40000キロまで、あと18421キロ)】

(記者:木舟 周作)

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