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2008年06月13日(金) 13時17分

生かすのか、殺すのか——裁判員制度前に重厚な一作オーマイニュース

 単に裁判員制度の参考にしようとか、オリジナルとのちがいでも見てみよう、とかいう軽い腹づもりで観ると、手に追えないかも知れない。

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 2007年にロシアで公開された『12人の怒れる男』は、言わずと知れた法廷劇の傑作、同名映画のリメイクである。日本では90年代に三谷幸喜が戯曲『12人の優しい日本人』にリメイクし、ロングランヒットとなった。

 オリジナル登場から早50年。ロシア版としてリメイクされた本作が、裁判員制度開始を前にした日本でこの夏、公開される。

 オリジナルをご存知の方のために、先に伝えよう。ロシア版の結末はオリジナルとは異なる。ニキータ・ミハルコフ監督が「まったく新しい作品になった」というように、社会正義を煌々と歌い上げた50年前の本作とは異なる、21世紀の社会背景にふさわしい結末だ。

 ストーリーはオリジナルに忠実に展開する。被告はチェチェン人の少年。ロシア人の養父をナイフで殺害した罪で裁判にかけられている。目撃者もおり、陪審員たちの審議は簡単に終わると思われたが——。

 では、21世紀にふさわしい結末とはどういうことか?

 作品解説は、21世紀という背景について

 「もはやオリジナル作品のように、社会正義を鼓舞するほどイノセントではなくなってしまった世界」

と表現する。青臭いセリフや演出は通用しない。社会で懸命に生きていれば人に話せない傷の1つ2つは持つことになる、そんな時代。

 自分なりに精一杯生きてきた12人の陪審員たちは、その日、携帯電話を取り上げられ、工事中の陪審室に代わって用意された学校の体育館に閉じこめられる。

 審議がもめるほど、偏見も思想も過去もむき出しになる。終身刑になる有罪か、放免になる無罪か。ぶつかり合い、自分と他人とは違うことを認めながら、相手の意見に納得し、反対し、同意する。ドラマはその繰り返しだ。

 オリジナル同様のせま苦しい法廷劇ではあるが、内包されるテーマはチェチェン紛争、民族差別、経済至上主義の蔓延と果てしなく広い。合間には、まるで被告少年のフラッシュバックのようにチェチェンの映像が挟まれる。独房で待つ少年は、寒さを紛らわせるため故郷の躍りを踊る。スピードのあるターンがストーリーのさらなる回転を予感させる。

 その先に待つのはどんな未来か。

 陪審員1を演じるセルゲイ・マコヴェツキイが、

 「……おそらく、我々がこの世界においてどのように生きるべきかという問いに対する答えも含まれている。我々は何者なのか、我々は自分にどう向かい、また隣人にどのように向き合えばいいのだろうか」

と感想に述べるように、社会のなかで私たちはどうあればいいのかが暗に示されている。

 撮影はすべて順撮りだったというだけに、作品全体に舞台のような緊張感がある。陪審員1(マコヴェツキイ)による10分間のモノローグ(1人語り)をワイドショットのワンシーンで収めている場面も見物だ。

 2時間40分の上映時間にはおしりが痛くなるが、これだけ膨大なテーマを時間に押し込めることなく丁寧にテンポ良く描き切るには、これくらい必要だろう。いったん見始めれば、夢中になって見切ってしまう。

 そう、重いテーマなのに、見終わったあとには頭がスッキリする。生きるのはみんないろいろ大変だけれども、未来はきっとある。よくやった。明日もまた頑張ろう。そんなことを思える、2時間40分の「良い時間」なのだ。

『12人の怒れる男』(原題『12』)
2007年ロシア
160分
監督・出演/ニキータ・ミハルコフ
8月、シャンテシネほか全国順次ロードショー

(記者:軸丸 靖子)

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