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2008年06月13日(金) 12時06分

秋葉原の惨事から何を学ぶかオーマイニュース

 最悪な事件が起きてしまった。くしくも池田小事件と同じ日に、またも通り魔。今年は殺しが多い年なのかもしれないが、それにしてもなぜ、ここまで多いのか。1月の戸越銀座から始まり、土浦の無差別殺傷…… 周辺への影響もわかった上での使用、と考えれば硫化水素も無差別テロだ。

 どうも殺人鬼に限ったことではなくて、昨今「赤の他人相手なら何をしても許される」という発想が実に多くの人の心に根付いているように思える。自分の内輪以外は全部どうでもいい存在であって、そこで自分がどう振る舞おうと、どう利用しようと、文句を言われる筋合いはない、という考え方なのだ。こんな実感が日々強くなるのは、東京に住んでいるからだろうか。

 そういや、電車で隣に座った人から話しかけられることなど、とんとなくなった。秋葉原はけん騒の街。一町向こうの交差点で人が倒れていても、背後に刃があっても、雑踏の無差別な声に紛れて気付かない……。

 そして、われわれは追わなければならない。何を? 追従ではない。追跡でもない。追究だ。世間を震かんさせる事件が起きると、決まって追従者が出てくる。

 なぜ、血だまりや犯人確保の瞬間などのリアルな映像を流す必要があるのか。資料として撮影する必要はあっても、ニュースで流すほどの公共性、公益性があるとは思えない。どこかの三流コメンテーターが「こういう映像を流すことによって生き恥がさらされるのだよと警鐘することになり、犯罪抑止につながる」と大妄言をしていたが、むしろ逆だろう。注目されたいから「アキバの交差点」なのだから。次は渋谷か新宿か、と若干おびえながら今日もスクランブルを渡った。

 メディアは容疑者の過去を洗い、犯人像と経緯をたどりたがる。本当は、これからを提言しなきゃならないのに、何度も同じ映像を流すしか能がない。

(記者:鈴木 亮介)

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