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2008年06月10日(火) 13時02分

東京・秋葉原通り魔:「どんなに痛かったろう」川口隆裕さんの父、悔しさ語る /千葉毎日新聞

 「息子はどんなに痛かったろうか。犯人は何てことしてくれたんだ」——。東京・秋葉原の通り魔事件で亡くなった流山市南流山の東京情報大学2年、川口隆裕さん(19)は将来、コンピューターの専門家を夢見ていた。友人らと秋葉原に買い物に出掛け、被害に遭った。父の会社員、健さん(53)は自宅前で報道陣の取材に応じ、一人息子を亡くした悔しさを語った。
 ◇遺体と対面、母泣き崩れ
 健さんによると、隆裕さんは、友人ら4人で秋葉原に買い物に出掛けて事件に遭遇。外出していた健さんは夜、帰宅後に事件を知った。警視庁万世橋署に駆け付け、隆裕さんの遺体と対面した。
 健さんは「夢であってほしいと思った。悔しい気持ちでいっぱいでした」と話した。母薫さん(48)は、その場で泣き崩れて立ち上がることができなかったという。
 健さんによると、隆裕さんは市立南流山中、二松学舎大付属沼南高(柏市)を経て、07年4月に東京情報大に入学。パソコンやテレビゲームが好きで、夜遅くまで画面に向かっていたという。優しい性格で友人も多く、大学の友人の家によく泊まりに行ったり遊びに行ったりしていた。
 健さんは「至らないところもあった息子だが、今となってはそんなことはどうでもよかった。とにかく生きていてほしかった」とうつむいた。【柳澤一男、斎藤有香、長谷川力】
 ◇大学でも成績優秀、10月の資格試験に向け勉強
 川口さんが通っていた東京情報大総合情報学部(千葉市若葉区)では9日、成瀬敏郎・学生部長が会見。「突然のことで驚愕(きょうがく)している。本学の学生にとって秋葉原というのは非常に身近な場所なので、凶行があったということは非常に悲しい」と話した。
 成瀬部長によると、川口さんは情報システム学科でコンピューターのネットワークやプログラムを学んでいた。同大ではシステムエンジニアを志す学生が多く、学生は情報収集のため日常的に秋葉原に出掛けていた。
 同級生や担任教授らも会見し、無念の思いを語った。川口さんと同じゼミに所属していた同学部2年の黒岩翔太さん(19)は「まさか川口君がこんな事件に巻き込まれるとは」と驚きを隠せない様子。「とても話しやすいタイプの性格。格闘ゲームが好きで、よくその話題について一緒に話した」と振り返った。犯人に対しては「どうでもよくなったからといって人を殺していいわけじゃない」と怒りをあらわにした。
 1年の担任だった金武完教授は「非常にまじめで成績もよく、私の授業は一度も休んだことがなかった」と話した。10月に試験がある基本情報技術者の国家資格取得に向けて勉強に励んでいたといい、今年度の担任、平野正則教授は「前途ある若者がこんな形になって、悔しい思いでいっぱい」と唇をかんだ。【斎川瞳、袴田貴行】
 ◇コンピューター部に所属、高校3年間で欠席は2日
 川口さんが卒業した二松学舎大付属沼南高によると、川口さんは1年からコンピューター部に所属し、2年からは理系コースに進んだ。3年間で欠席は2日だけという精勤ぶりだった。
 2、3年の担任だった曽田顕教諭(51)は「私が見ていない時でも、ちゃんと掃除して報告に来るしっかりした生徒だった。『先生、掃除終わりました』と言いに来る彼の姿が今も心に残っている」と語った。卒業時の文集には「大学に行けるか不安だけど頑張っていきたい」と書いた。曽田教諭は「合格の時は本当にうれしそうだった。これからの人生だったのに」と無念そうに話した。
 同校は9日、緊急全校集会で、事件を報告。木村誠次校長は「将来のある青年の命が理不尽にも絶たれた。悲しい事件です」と話し、生徒と教職員約700人が黙とうした。
 南流山中に事件の一報が入ったのは9日午前8時過ぎ。隆裕さんは中学時代、ハンドボール部に所属。熱心に練習に参加してチームを支えていた。岩本守教頭は「当時の担任教諭はかなりのショックと憤りを感じていた」と話した。【倉田陶子、駒木智一】

6月10日朝刊

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080610-00000092-mailo-l12