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2008年06月10日(火) 03時05分

無差別殺傷、理不尽な死悼む友人読売新聞

 東京・秋葉原の無差別殺傷事件──白昼の凶行から一夜明けた9日、犠牲者の友人や遺族らは、余りに理不尽な死を悼んだ。

 「憎めないいいやつだった」。東京電機大2年の藤野和倫さん(19)と全寮制の同じ中高一貫校に通い、3人部屋でともに過ごした時期もある神奈川県横須賀市、大学2年松村正晃さん(19)の一番の思い出は、高2のころ一緒に遊んでいて、財布を落とした時のこと。藤野さんは2時間かけて捜してくれ、最後は警察署までつき合ってくれた。「本当に友達思いのやつでした」と振り返り、「今は思い出をありがとうと言いたい」と言葉を詰まらせた。

 高校柔道部時代の友人で大学2年の男子学生(19)は「嫌になって部活に行かなくなった時、そっと励ましてくれた。そんな優しい一面があった」と思い出していた。

 会社員の宮本直樹さん(31)は「トレーディングカード」を使ったゲームが趣味で、好みのゲーム機がある店を探しては千葉、神奈川県まで足を延ばしていた。秋葉原のゲーム店にもよく出かけていたという。

 ゲーム仲間によると、宮本さんは負け知らずで、仲間内で「世界の宮本」と呼ばれていた。昨秋、東京・吉祥寺で行われた大会で優勝した際には、「埼玉の宮本から、関東の宮本に昇格したかな」と控えめに笑っていたという。

 元歯科医の中村勝彦さん(74)の友人で日大名誉教授の納村晋吉さん(70)は「『引退したらどうやって暇をつぶそうか』と笑っていたのに」と言って絶句した。

 2人が知り合ったのは1970年ごろ。納村さんが講師を務めていた日大松戸歯学部に、中村さんが歯科矯正学を学びにきたのがきっかけだった。

 中村さんは一度、妻と共に歯科医院を開いたが、専門性を高めようと再び大学の門をたたいたという。「惰性で続けてしまう医師も多い中、『もう一度学び直そう』と思える人はそうはいない」。その熱心さに納村さんは舌を巻いた。

 矯正学を学んだ後、中村さんは再び開業。納村さんの招きに応じて日大歯学部で講師も務めた。わかりやすく丁寧な指導は学生の評判を集めた。

 カメラと旅が趣味。得意の英語を生かして孫たちを連れて世界中を旅していたという。納村さんは「携帯のメールを使いこなすほど気持ちが若かった。今も信じられない」とつぶやいた。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080608-2810266/news/20080609-OYT1T00466.htm