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2008年06月04日(水) 00時00分

(2)逆説の天才、真実語る読売新聞

太宰について語る猪瀬直樹さん

 「この開き直りはなかなかできない。こんな友達がいたら本当に嫌だね」

 2000年に出た「ピカレスク 太宰治伝」の執筆中、猪瀬直樹さん(61)は資料を繰っていて、太宰の悪漢ぶりに絶句した。

 太宰が親友の檀一雄と熱海で遊んだ時のこと。旅館のツケを支払うため太宰は檀を“人質”として残し、東京へ金策に出たが、なしのつぶてに。数日後、借金取りと檀は鬼の形相で東京に乗り込んだ。井伏鱒二の家で井伏と将棋を指していた太宰は、こうつぶやく。

 「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね」

 わがまま極まりない言葉。だが、猪瀬さんは「なるほど」と思うこともある。都副知事と作家という二つの顔を持ち、毎日分刻みで予定に追われる。「よく考えると、相手を待たせている時の方が、ハラハラするでしょう。太宰は一見反対のことを言って真実を語る。逆説の天才だよ」

 例えば、多くの人が持つ太宰のイメージは「自殺願望のあるナイーブな天才」。太宰は未遂も含めて計5回の心中を図っている。

 猪瀬さんから見れば、これもまた逆説。死のふちまで行って、生きて戻ってくる。極めて計画的で、睡眠薬自殺でも致死量までは服用していない。だから、「ピカレスク」(悪者の意)では生きようとする太宰を描こうと思った。

 それなら、玉川上水での心中では、なぜ死んでしまったのだろう。自分だけ生還しようとする太宰に対し、青酸カリを持ち本当に死を覚悟した愛人。猪瀬さんは「愛人が太宰の死を確認した上で、一緒に玉川上水に飛び込んだのではないか」と考えている。

 猪瀬さんは特殊法人や公益法人の暗部の調査・分析を続ける傍ら、ピカレスクを執筆した。そこで勇気づけられた太宰の逆説があったという。亡くなる半年前に知人に発した言葉だ。

 「政府なんて、いらんと考えているんだ。全部、商人に任せればいい。鉄道だって道路だって、今より上等なものを作ってくれる」

 死後半世紀を経て、太宰が道路公団民営化の急先鋒(せんぽう)を突き動かしていたとは。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231212425875707_02/news/20080617-OYT8T00666.htm