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2008年06月02日(月) 10時19分

「柱を頼りに…」私なりのパニック解消法オーマイニュース

 これまで私自身のパニックの症状について何度か記事を書いてきたが、私は駅のホームなどで人の流れに圧倒されて動けなることがある。しかし最近は、私がのろいのか、人の流れが速すぎるのかわからないけど、これまでは歩けていた繁華街やアーケード、コンコースでも動けなくなることが多くなった。10年程前には普通に歩けていた繁華街が今はとても怖い。まるで人の流れがビデオの早送りのようで、なんだか皆が殺気立って行き交っているようにすら感じてしまうのだ。

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■変哲もない柱が…

 そんなときに助かっているのが、実は柱なのである。これまでは電信柱のように、何の変哲もない柱だったのだが、最近はよくよく見ると、コンコースなどで、そのまま広告になっている柱、ちょうどラッピングバスのような感じに広告が巻かれている柱が増えてきた。私がよく通る、JR小倉駅のコンコースの柱は電気で照らされた広告のパネルが張り付けてある。

 それまでは柱に派手な広告があることにあまりいい印象は持っていなかったのだが、最近はそれがいい目印になっているのである。人がどさーっとやってくると、かいくぐりながらとりあえずあのデパートの広告の柱、次はあの広告の柱と目印にして歩く。柱まで行って一息、次の柱まで行って一息。東京のコンコースともなると、大変な人の流れなので、柱がすごく役立っている。

 正直、広告の柱がパニック回避に役立つとは思ってもみなかった。何人かの友人・知人に話すと、今まで柱をそのように考えたことはなかったから気づかされたと言っていた。

 ところで、そこで困っているのが繁華街のアーケードだ。左右両端に店が軒を連ねるが、週末ともなると道幅いっぱいに人であふれる。私は四方を人垣に囲まれ、どうにか歩を進めるが、つかまる柱はない。1人で行くと本当に怖い。別に行き交う人のせいではないし、町がにぎわうのはいいことだ。でもそんなこととは関係なく恐怖が襲うのだ。それでもアーケードにはお気に入りのお店もあるので、比較的すいている平日に行くようにしている。

■SOSを示すことはできないか?

 自治体の福祉ガイドを読むと、「内蔵機能の障害を持つ内部障害者の方たちは、外見的には障害者であることがわかりにくいため、日常生活において誤解を受けることがあるので、理解を深めるために「ハートプラスマーク」の普及への取り組みが行われている」とあったが、外見的には障害者であることがわかりにくいということであれば、内蔵機能の障害に限定せずに「SOS」を示すマークができないものだろうか? SOSの合図で「黄色いハンカチ運動」があるが、このハンカチには病名や、指定病院を記入することになっている。私の場合、特定の病気でパニックになるわけではないのでなかなか難しい。

 そんなに人の流れが怖いのなら外に出ず、じっとしていればいいのかと言うと、そうなるとかつての引きこもりに戻ってしまう。決して外に出るのが嫌いなわけではないのだ。怖いと言いながらも、まだ私のリコーダーでの音楽活動は自分の好きなことだ。束縛されることなく、自分のペースで動けばいいので、遠方でも大都会でも、動けるようになるまでちょっとうずくまって、息を整えて動くことができている。

 しかし、これが一般の仕事に飛び込んで今の社会の流れに乗るとなると……。正直怖い……。そんな私も一時期、求人誌片手にバイト探しに奔走したことがあるが、差別のような言葉も受け、だんだん流れに乗れない自分が落ちこぼれのように思え、途中棄権まで考えた。

 でも、この人生と言うマラソンは一度棄権したらもうスタートに立つことすらできないんだ。そう考えたとき、このマラソンのゴールは人それぞれ違うんだから、時に立ち止まったって、しゃがみこんだっていいんじゃないかと思えるようになった。そんなときでさえ、駅でうずくまることはなかったのだから、やはり今は人の流れが速くなっているのだろうか。

 このごろ、落ち込んだときに頭に浮かぶ言葉がある。それは、私の講演と演奏に寄せられた、ある親御さんからの感想。

 「原田さんの不器用だけど、決して逃げない生き方がすてきです」

■ゆっくりと前へ進めばいい

 私の生き方ははっきり言って不器用だろう。いつもしゃがみこんだり、のろのろと右往左往したりしている。一見、逃げているように見えるかもしれない。でも、だからこそ何の包み隠しもないありのままの自分をさらけ出し、ゆっくりだけど、体当たりで常に前を向こうとがんばっている。それは決して「逃げ」ではないと言い聞かせている。

 しかし、最近街を歩くと、今の社会の速い流れをスマートに乗りこなせていたとしても、速く! 速く! のあまりに笑顔より険しい顔を多く見るような気がする。今、1番怖いのは自分らしさが崩れたとき、絶望のころに後戻りして、すべてが音を立てて崩れてしまうこと。それならば不器用でも、亀のようにのろのろしていても、自分を見失わず笑って1歩ずつ前へ歩いていればそれでもいいいんじゃないか。そう自分に言い聞かせている。

 ハイウェイは確かに速いかもしれないけど、一般道をゆっくり走って発見すること、路地裏で発見することもあるだろう。いや、今の速い社会だからこそ、実は、

 「ゆっくり歩いてもいいんじゃない?」

という、一言をかけてほしいと思っている人も多いのかもしれない。少なくとも私はそのことで、もがき苦しんだ。今もまだ手探り状態だが、だからこそ、そして、私の語りと演奏で生きる希望が見つかったという方がいらっしゃるからこそ、リコーダー片手に声を大にして言いたい。

 「もうちょっとゆっくり歩こうよ!」

 今日もまた、柱にお世話になりながら、ゆっくりゆっくり前へ前へ……。これからもゆっくり歩いていたからこその発見を記事にできたらと思う。

(記者:原田 耕一)

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