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2008年05月30日(金) 16時29分

究極の自己愛問う 「美しすぎる母」監督に聞く朝日新聞

 母親にとって、息子は「男」か、自己愛を満たすためのペットか。愛に渇いた母が、息子にセックスを迫って殺される「美しすぎる母」が6月7日、東京・渋谷のル・シネマなどで公開される。事件はなぜ、起きたのか。繊細な感情に分け入って、深層を見つめる心理劇だ。トム・ケイリン監督に聞いた。

「映画で内なるビジョンを表現したい」と語るトム・ケイリン監督=東京都内で、郭允撮影

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 72年に英国で起きた事件を、息子が生まれた40年代から説き起こし、母と子が密着していく過程を映す。原作はエドガー賞の犯罪実話賞をとった。

 富豪と金目当てに結婚したバーバラ(ジュリアン・ムーア)は、幼い息子を残して社交界で派手に立ち回る日々。だが、やがて容姿に陰りが見え始める。「愛は発火性が高い。他者への愛が挫折すると、自己愛は屈折する。その時、愛の火が誰に、どのように向けられるか。ギリシャ悲劇のような物語を、オペラの空気を持つ作品にした」

 夫は息子(エディ・レッドメイン)の恋人を奪う。バイセクシュアルの息子は、母と、その愛人の3人で寝る。母子それぞれの屈折した心模様を、地中海沿岸でのバカンスやパリ、ロンドンの生活の中に映す。

 「母親には、息子が別の生き物になる日が分かる」とのバーバラをせりふを引き、「裏返せば、息子にとって、母が女に見える瞬間。それが物語の転換点だ」と監督。

 そしてついに、母は息子を挑発してセックスし、その刃(やいば)に倒れる。母はなぜ、息子を挑発したか。身も心も母を受け入れながら、息子はなぜ、翻意して刺したのか。映画は推理劇ではなく、心理サスペンスだ。

 「自己愛が崩壊したバーバラは、社会への関心を閉ざし、息子への愛に突き進む。息子を駆り立てて自分を殺すよう仕向け、究極の形で自己愛を最後まで貫き通し、人生を終わらせたのではないか」

 映画が現代に発するメッセージとは。

 「人対人ではなく、母として、息子として、という役割を演じることでしか向き合えないと、その枠組みが壊れた時、人との距離感を見誤り、力学が崩れる。その今日的な問題を映した」と話した。

 各地で順次公開。(宮崎陽介)

http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200805300226.html