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2008年05月19日(月) 23時46分

日本救援隊、能力生かせず無念の「撤退」 四川大地震朝日新聞

 大地震が起きた中国四川省で救助活動をしていた日本の国際緊急援助隊は19日、北川チャン族自治県での活動を打ち切り、成都に引き揚げた。捜索に入るまでに連絡の行き違いやトラブルに振り回され、生存者の救出がかなわない中での事実上の撤退だ。中国側は謝意を示すが、隊員たちの表情には、思うように働けなかったことへの悔しさもにじんでいる。

捜索した中学校跡地で黙祷する日本の国際緊急援助隊(手前)。その様子は、中央テレビ(CCTV)が収録、同テレビは隊員らの立つ場所などを指示していた=19日午後2時28分、四川省北川、中田徹撮影

 19日、多くの生徒が犠牲になった北川チャン族自治県の北川第一中学校では、18日に同校で13人の遺体を発見して捜索を終えた日本の援助隊も黙祷(もくとう)に参加した。武装警察やレスキュー隊が集められ、中国中央テレビががれきの搬出作業を撮影し始めた。日本の援助隊も指定された場所に並んで帽子を取り、一斉に黙祷をささげた。

 援助隊の第1陣は16日未明、北京経由で成都に到着。大型バスに乗り換えて約400キロ離れた青川県関荘地区に向かったが、前方のトラックが追突事故を起こし、その場で1時間近く足止め。目的地に到着したのは翌朝9時すぎだった。

 しかし、当局間の意思疎通が十分でなく、地元政府の幹部が案内した場所は、幅約2キロにわたるがけ崩れで、約120世帯がのみ込まれた集落。家屋の下敷きになった被災者を救助する都市型災害が専門の同隊にとって、想定しない事態だった。

 「日本の技術で何とかしてください」と訴える地元幹部に「我々の手に負えない」と伝えるしかなかった。

 次の目的地は青川県喬荘地区と決まり、移動時間は40分と説明を受けた。ところが、車がすれ違うのがやっとの狭い山道で軍車両の渋滞に巻き込まれた。たどり着いたのは4時間後の午後3時半。しかも、れんがが崩れて「砂の山」の状態。救助は難しかった。

 17日深夜には北川チャン族自治県に移動。長時間バスに揺られて救助犬は下痢をした。中国側によると、数日前まで「助けて」との女性の声が聞こえていた。隊員の一人は「もっと早く到着していれば助けられた」と悔やんだ。

 中国では、日本の援助隊の奮闘ぶりを高く評価する報道が相次いだ。援助隊が乗ったバスには新華社通信の記者、カメラマンが同乗し、救助隊の活動を盛んに報じた。

 胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席が先日、中国の最高指導者としては10年ぶりに訪日。中国社会に対日友好ムードが広がりつつあることも背景に、「中国史上初めて迎えた国際救援隊」への注目度は、他国隊と比べて群を抜いていた。

 新華社通信系の中国紙の国際先駆導報は19日、第2面を日本の救援隊の同行ルポで埋めた。見出しは「見捨てない、あきらめない!」。昼夜を問わず救援活動にあたる勤勉な姿や最新の装備、被災者の感謝の言葉などを紹介し、「救援活動を通じて両国の国民感情に変化が生まれている」とまで書いた。

 隊員の中には、初めて国際援助隊を受け入れた中国側の対応を「情報が混乱するのはよくある」と理解を示す声がある。一方で、「日本だったらまだやれることはたくさんあるな、という思いはある」と話す隊員もいた。(北川〈中国四川省〉=小林哲、池田孝昭、阿久津篤史)

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