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2008年05月17日(土) 12時02分

元バレー女子全日本、21歳がんで早世 故郷の五輪目前朝日新聞

 17歳で全日本代表候補入りし、生まれ故郷・北京での五輪出場を夢見たバレーボール少女が、18歳でがんを宣告された。「もう一度コートに立ちたい」とつらい治療に耐えたが、病床でつづった自伝の出版を待たず、先月、21歳でこの世を去った。17日、その北京五輪への世界最終予選が東京で始まる。

04年3月、春の高校バレーでプレーする横山友美佳さん(中央)=フリーカメラマン牧野龍太郎さん提供

 亡くなったのは横山友美佳さん。187センチの長身を生かした攻撃が持ち味だった。

 9歳でバレーを始めた。家族の事情で中国から甲府市に移り、日本国籍を取得。東京の成徳学園高(現下北沢成徳高)で活躍し、04年、高校の先輩で現日本代表の木村沙織選手とともに、最年少の17歳で日本代表候補に選ばれた。

 05年3月8日、横紋筋肉腫というがんがみつかった。すでに骨髄に転移していた。

 自伝にこうつづった。

 《怒りと悔しさが交互にこみ上げた。青春真っ盛りだと信じていた十八歳。イメージからはあまりにも遠かった》

 入院し、抗がん剤治療が始まった。予想以上の副作用。激しい嘔吐(おうと)で1回の治療が終わると体重が5キロも減った。

 《周りは当たり前のように元気で生きている。あふれんばかりの“生”に嫉妬(しっと)した。こんなの公平だと思うか?》

 しかし、入院して初めてわかった。同じ病棟にいる子どもたちの強さ。医師や看護師、家族や友人の支え。

 《応援してくれているすべての人から注がれていた見返りのない親切と愛情を感じられるようになった》

 病院内の学校に通い、早稲田大に合格。手術と抗がん剤治療、放射線治療に耐え、06年2月に退院した。

 だが、わずか半年後、再び入院。生きた証しを残そうと、治療の合間に思いを書き続けた。

 いつか本にしたい。

 《生きているうちにそれを見届けることが私の最後の夢》

 4月、木村選手が病院を訪ねてきた。横山さんは声をかけた。「練習できてる? 絶対に北京に行ってね」。3日後、横山さんは亡くなった。

 木村選手は言う。「自分の方がつらいのに、周りに気を配れる心の底から強い人。彼女の分まで絶対に頑張る」

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 横山さんの自伝「明日もまた生きていこう」(マガジンハウス)は22日発売される。(香取啓介)

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