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2008年05月15日(木) 16時10分

歌に舞台に妖魔術 美輪明宏、理詰めで観客魅了朝日新聞

 存在自体が魔術のような芸術家、美輪明宏が今年、精力的な活動を見せている。主演・演出の舞台「黒蜥蜴」「双頭の鷲」を始め、秋には音楽会も待ち受ける。テレビ「オーラの泉」ではうかがいしれぬ、秘境を母体として立ち現れる妖術的芸術のもろもろが、人々を蠱惑(こわく)する。

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 「入場券が手に入らないという状態が続いたので、今年はこの2舞台をお見せしようと思いまして」

 「黒蜥蜴」は、東京のルテアトル銀座で6月1日まで上演中。江戸川乱歩の原作を三島由紀夫が脚本化した作品を美輪が演出する。明智小五郎の探偵譚(たん)の域を脱し、女賊の気高き悲恋劇に再構築されている(チケット完売)。

 9月に上演予定の「双頭の鷲」は、ジャン・コクトー原作で、やはり美輪が演出。ハプスブルク家の女王と若きテロリストの、死にかたどられた無償の愛が描かれる。

 「音楽会」は毎年、シャンソンやオリジナル曲などテーマを決めて開いている。

 「芝居では『背中に八つ目がある』と言われるくらい神経を行き渡らせていますし、コンサートでは3時間近く14センチ高のハイヒールをはいて立ちっ放しでしょ。疲労度は一緒。舞台も歌も、芸術の質は同じです。歌心は芝居心」

 時代の流れやニーズを探る努力を欠かさない。「でも演出に生かそうとは思わない。一時代におもねることはしない」。こうなると、古典劇的色彩が濃くなる。「自分の舞台を西洋歌舞伎とも呼んでいる。『双頭の鷲』ののけぞる演技は、女形の六代目中村歌右衛門が演じた花魁(おいらん)の八ツ橋を参考に編み出したのです」

 現代は喜劇が好まれているが、「黒蜥蜴」「双頭の鷲」は対極の悲劇。「生活臭のする悲劇は成立しないけれど、磨き抜かれた筋金入りの悲劇は、非日常的な美を伝えるから、みんな飛びつくのでは」

 硬質で壮麗な言語体系を成す三島のせりふも、「毛皮のマリー」での鋭い詩的警句に満ちた寺山修司のせりふも、自家薬籠(やくろう)中のものとする。作者、いやそれ以上のレベルで作品世界を感得し、「美しい日本語のシャワー」を理知の力で咀嚼(そしゃく)しているからだ。

 「オーラの泉」は新しいファンを育てた。「礼儀、たしなみ、思いやり、冷静さ、とりわけ理知を失った時代、これらを取り戻すべくテレビで語ろうと」。その思いは演劇や音楽会にも共通する。「観客の心をわしづかみにする魔術のようでも、実は綿密な計算があるのです」

 美輪にあって、美は決して独り歩きしない。舞台でも日常でも、美輪その人が、美に固着している。「簡単よ。生活を芸術化すればいいのよ」(米原範彦)

http://www.asahi.com/culture/stage/theater/TKY200805150210.html