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2008年05月15日(木) 00時00分

キトラ被葬者は天皇に準じるクラス、木棺全体が朱色朝日新聞

 極彩色の壁画が石室に描かれていた奈良県明日香村の特別史跡、キトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)で、石室内に収められていた木棺全体が朱色だったことが明らかになった。文化庁や奈良文化財研究所などが15日、発掘調査結果(02〜04年度)として報告した。同時代で全体が朱色の棺は、文献で天武天皇(?〜686)について記載があるぐらいで、専門家は「被葬者が天皇に準じるクラスだったことが改めて裏付けられた」としている。

表面が朱で塗られた木棺の破片(縦4センチ、横8.4センチ、厚さ4ミリ)。中央にくぎ穴があるほか、周囲にくぎ隠しのための飾り金具の一部も残っていた=奈良文化財研究所提供   

 同古墳では04年に同研究所などが調査し、木棺の破片とみられる最大10センチ程度の朱と黒色の漆片約1万点が床から見つかった。

 今回、破片を詳しく分析した結果、木棺の角の「L字」形の部分は内側も外側も布で覆われ、黒漆と、防腐効果がある古代顔料の水銀朱を含む朱漆が重ねて塗られていた。また、「くぎ隠し」の飾り金具が朱漆の上から打ち込まれた跡のある木片も見つかった。一方、黒色の破片は布で丁寧に覆われずに直接、黒漆を塗った跡があることから棺台と推定した。朱色には古代、魔よけや「死者の復活を願う」といった意味が込められたとされるが、詳しいことはわかっていない。

 全体が朱塗りの棺はキトラ古墳と同時代では、13世紀に天武・持統天皇陵(同村、7世紀末)が盗掘された時の様子を僧侶が記した文献「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」で、天武天皇の棺が記述されている以外は知られていない。キトラ古墳より古い古墳では、藤ノ木古墳(同県斑鳩町、6世紀後半)の石棺は全体が朱塗りだった。

 猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は「天武天皇の棺も同じ朱なので、被葬者はそれに準じる皇太子クラスの高市皇子だった可能性が高まった。当時は身分によって、棺の種類や色を少しずつ変えていたのではないか」と推測している。

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 キトラ古墳に描かれていた極彩色の十二支像壁画「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)」は、同村の飛鳥資料館で特別公開されている。25日まで。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200805150092.html