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2008年05月14日(水) 10時43分

PCゲーム→漫画・小説→映画 公開中「ひぐらしのなく頃に」朝日新聞

 発売当時、売れたのはたった50部。それがいまじゃ漫画にアニメに小説に、メディアをまたいで大ヒットとなったゲーム「ひぐらしのなく頃に」が実写映画化されて公開中だ。ひなびた村で起きた陰惨な連続怪死事件。「萌(も)え」や「疎外」といった昨今はやりの要素が混じりあう推理劇に、ネットで活発な議論が巻き起こり、ゼロ年代を代表する人気作品に育った「ひぐらし」の魅力を探ってみた。

すでに続編の製作が決まった映画「ひぐらしのなく頃に」から

 映画の舞台は昭和58年の片田舎、雛見沢(ひなみざわ)村。東京からの転校生・圭一は級友の美少女たちに囲まれ、ほのぼのした学園生活を送っていた。ある日、彼はこの数年、村の夏祭りの日に起きる怪死事件を知り、級友や村人への疑念にとりつかれる。そして今年も……。のどかな日常は暗転、物語は陰惨な結末へ突き進む。

 一見よくある学園ものと和風ホラーの混交したたたずまい。とはいえ見た人は謎に包まれたまま放り出された気分になるはずだ。それもそのはず今回の映画、壮大な原作の約8分の1にすぎないのだ。

 原作は02〜06年、「竜騎士07」さんが同人誌即売会で販売したパソコン用ゲーム。04年に本編全8話の一部がネットで公開され、謎解きサイトが次々と立ち上がる。翌年には漫画連載が4誌ほぼ同時に始まり、累計500万部を超えるヒットになった。

 その理由を「いままでにない物語構造。『ループするパラレルワールド』とでも呼べそうな前衛性を持っている」とみるのは、原作の小説版を刊行中の講談社BOX編集部の太田克史部長だ。

 映画は第1話「鬼隠し編」が下敷き。では続きは、と原作に手を出すと、第2話「綿流し編」では前作の悲惨な終末はどこへやら、同じ舞台で同じ登場人物がのんびり楽しく過ごしている。そしてまたも物語は別のカタストロフへ。「解答編」と題された後半に入っても、別の登場人物の視点から、同じ場所、同じ時間が語り直され、なかなかハッピーエンドにならない。

 「ひぐらし」はサウンドノベルと呼ばれるゲーム形式に分類される。イラストと効果音を背景に小説のように読み進めるが、通常、サウンドノベルでは要所の選択次第で結末が変わるのに、「ひぐらし」にはその選択肢がない。

 批評家の東浩紀さんは著書『ゲーム的リアリズムの誕生』で、選択肢はないのに、読み手が異なった選択肢を選んだゆえに別々の物語が展開するかのよう、と指摘、「ゲームとしていちど大きく退化し、そのうえでふたたびゲーム的経験の作品化を試みるという、『ゲームのような小説のようなゲーム』」と評す。

 太田さんもいう。「現実の人生で選択肢はいっぱいあるし、あるのもわかっている。でも結局一つしか選べない。そんな若い世代の実感を物語構造ですくいとっている」

 では、この作品、そんな絶望感が受けているのか。

 「最近の若者は、共感できるだけでなく、自分が関与できる余地のある作品を好みます。『ひぐらし』はキャラクターや世界観の魅力で多くの二次創作を生んでいますが、それ以上に地域や家庭の崩壊、ネット社会の進化などから生まれる『疎外感』を物語にうまく組み込んでいる」と話すのは東京大学大学院情報学環の吉田正高特任講師だ。

 実は「ひぐらし」は、語り手ではないある人物に注目することが謎解きの鍵になる。

 「どうしてこの人は、この時、こう動いているのかを考えさせる。それが推理劇たるゆえん。人と人のきずなとは何かを考えなければ『真相』にたどりつけないのです」(野波健祐)

http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200805140098.html