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2008年05月13日(火) 06時02分

藤原組長がんから復帰!「ふとんの上で死にたくない」スポーツ報知

胃がんを克服し、リング復帰した藤原喜明(左)。アレクサンダー大塚(中)を脇固めで下した

 昨年10月に胃がん手術(半摘出)を受けた“組長”ことプロレスラーの藤原喜明(59)=藤原ファミリー代表取締役=が12日、東京・後楽園ホールで開催された「昭和プロレス」旗揚げ戦でリング復帰した。関節技限定エキシビションマッチでアレクサンダー大塚(36)と対戦し、3度のギブアップを奪った。医師から「5年生存率48%」と宣告された男は「ふとんの上で死にたくない」と現役を続行する決意を語った。

 かつて“問答無用の仕事師”“昭和のテロリスト”と呼ばれた藤原組長が、さらなる殺気を増してリングに帰ってきた。突然のがん宣告は昨年9月13日。10月3日に首都圏の病院に入院し、同5日に胃の半分を摘出した。成功はしたが「5年生存確率48%」と告げられた。

 がんを克服したプロレスラーといえば、2006年7月に腎臓がん手術を受け、07年12月にリング復帰したノアの小橋建太(41)が有名だ。小橋の復帰戦は多くのメディアで取り上げられたが、還暦目前の藤原組長の復帰は、主催者側が1度はストップをかけるなど難航。上半身裸ではなく、苦肉の策でジャージーを着用しての、関節技マッチとなった。

 昨年9月23日、大阪・羽曳野市での泉州力戦以来のリング。そのときは相手にだけ病名を伝え、試合後のリングで泣いた。その後も、あえて公表はしなかった。「医者に黙って、裸になるつもりだったんだけどよ」と手術痕をファンに見せられず悔しがったが、現役バリバリの大塚に腹固め、自身の代名詞とも言える脇固めで3度のギブアップを奪い、勝利のゴングを聞いた。「手術3週間後の試合は、さすがに傷口から内臓が出る恐れがあったのでキャンセルしたけど、これでリングに復帰したことに違いないだろ」

試合後に腹の手術痕をこっそり見せた藤原組長

 試合後、ジャージーを脱いだ組長の腹は、へその上の縦約20センチの縫合傷が痛々しい。その中の胃は半分しかない。「胃の入り口だったから、まだ良かったんだな」がん告知直前の昨年7月28日、“プロレスの神様”と呼ばれた師匠、カール・ゴッチ氏(享年82歳)を亡くし「レスラーは不死身ではない」ということを実感。「ふとんの上で死にたくないと思った。俺のいるべきところはリングだろ。もっと鍛えて出直します」“関節技の鬼”は自分に対しても鬼であり続ける。

 ◆藤原 喜明(ふじわら・よしあき)1949年4月27日、岩手県北上市生まれ。59歳。黒沢尻工業高校卒業後、製造会社、コック、牛乳配達を経て、72年11月に新日本プロレス入門。道場での実力を認められ、9日後の11月12日、異例のスピードデビュー(藤波辰巳に敗れる)。アントニオ猪木の異種格闘技戦ではスパーリング・パートナー兼ボディーガードを務める。“関節技の鬼”として前田日明、高田延彦、船木誠勝らを育てた。UWFを経て91年、藤原組旗揚げ。185センチ、108キロ(体重は公称)。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080513-OHT1T00108.htm