記事登録
2008年05月04日(日) 00時00分

20年のひきこもり克服し高校に 和歌山の39歳女性朝日新聞

 20年間も続いた「ひきこもり」を克服し、和歌山県内の定時制高校に通う女性(39)がいる。父の死、支援者との出会い……。長い年月を経て、社会とのつながりを取り戻した。福祉関係の仕事に就きたいと、来春の大学進学を目指している。

 高校1年の冬休み明け。風邪をひいて欠席し、そのまま不登校になった。

 朝、制服を着て玄関まで行くが、そこで体が固まる。人間としての活動が止まった感じがした。「中学の時に成績が下がって親に演劇部を辞めさせられたこと、クラスでいじめが頻発してびくびくしていたことなどで、疲れていたのだと思う」

 両親にはしかられた。自分の部屋にこもり、カーテンを閉め切った。ジャージーを着てベッドにもぐり、朝までラジオで音楽を聴く。デュラン・デュラン、カルチャークラブ……。夕方そっと起きて、誰もいないリビングで母が用意してくれた食事をとった。

 公務員の父は厳しい人だった。毎朝、部屋から引っ張り出そうとし、仕事から帰ると様子を見にきた。父の足音が聞こえると、さっと机に向かった。

 2年がたち、母は「学校はやめさせましょう」と切り出した。父は「その前に1回殴らせろ」と言った。胸ぐらをつかまれ、ほおを平手打ちされた。

    ◆

 30歳のころ、自分の中にかすかな変化を感じるようになった。病気がちの父が入退院を繰り返すようになり、夜は自宅で看病を手伝うようになったのがきっかけだ。なぜだかわからないが、「このままではいけない」と思い始めた。

 34歳。いつもいるはずの母が外出し、新聞受けの夕刊を取りに行こうと決めた。少しドキドキしながら暗くなるのを待ち、ジャージーを脱いで母の上着とスカートを身につけた。「近所の人に見られても、母に間違えられたらいい」と思いながら、約17年ぶりに玄関のドアを開けた。

 その3カ月後、父が他界。「嫌いだったけど、悲しかった」。無言の帰宅をした父を出迎えるため、ひきこもって以来初めて自分から門の外に出た。太陽がまぶしかった。

 「父が亡くなり、自分の周りにあった壁が溶けたみたい」。カーテンを開け、月に1回程度は買い物に出かけるようになった。瓦屋根の家は洋風の住宅になり、近くのアパートはなくなっていた。見たことのない喫茶店があった。

    ◆

 「変わらなきゃ」。04年春、和歌山県精神保健福祉センターを訪ね、ひきこもりからの自立を支援する共同作業所「エルシティオ」(和歌山市)を紹介された。

 代表の金城(きんじょう)清弘さん(74)は、自分の話をうなずきながらしっかり聞いてくれた。「何もしていない。私には何もない」と言うと、「そんなことはない。ちゃんと持っている」と諭された。

 1年間迷った。「外に出たい」と思いつつ、何もできない自分。「ここしかない」。05年5月、エルシティオに通い始めた。

 36歳。ひきこもりとの決別だった。振り返れば、長い年月を経て少しずつ自分の中にエネルギーがたまっていたのだろうと思う。

    ◆

 エルシティオの仲間と講習を受けてヘルパー2級の資格を取った。タオルを巻くアルバイトもした。そのうち、「私が一番何もしていない」と焦り始めた。ここでは最年長なのに……。「高校に行きたい」と金城さんに相談すると、すぐに手配してくれた。

 07年4月、38歳で定時制高校の2年に編入した。

 学校では、ひきこもっていたことは内緒。ただ、同じ経験を持つ同性の親友(17)ができて、何でも話し合える仲になった。彼女からは「学校生活を楽しくしてくれる人」と頼りにされている。

 身長161センチ。すらりとした体形にショートカットがよく似合う。

 はきはきとした話しぶりだが、「まだ無我夢中。いつまた自分が止まってしまうかわからない」。それでも、前を向いて歩いていくつもりだ。自らの経験を生かし、カウンセラーのような仕事をしたいと思っている。

     ◇

 岡山大などによる04年の研究報告では、ひきこもりの人は全国で少なくとも32万人と推定され、100万人以上とみる専門家もいる。(宮崎亮)

     ◇

 〈ひきこもり〉 家庭内の不和、いじめ、受験の失敗、就職後の挫折などをきっかけに、長期間にわたり家に閉じこもること。厚生労働省のガイドラインは「様々な要因で社会的な参加の場面が狭まり、就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態」と定義する。岡山大などによる04年の研究報告では少なくとも全国で約32万人と推定され、100万人以上とみる専門家もいる。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200805040023.html