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2008年04月28日(月) 16時36分

歩道と車道の1センチの段差に思う〜皆に優しく安全な道路作りをオーマイニュース

春の柔らかな青空に、心も体も軽くなり、いつもは車で通う幼稚園まで、約3キロの道のりを、自転車の後ろに息子を乗せ、ペダルをこいでみることにした。

 家を出て、50メートルほど行くと、交通量の多い道路に出る。歩道は歩行者のためのもの、自転車は車道を走ることになっているが、子どもを後ろに乗せているので、安全優先、車道より10センチほど高くなっている歩道を走らせてもらうことにした。

 車道から歩道に上がる、たった1センチの段差に、かごの中の荷物と、子どもの体が跳ね上がる。車が通る箇所では、歩道が低くなり、また高くなる。幾度かのアップダウンを繰り返し、小さな交差点に出る。車道に出る箇所で、また荷物は跳ね上がり、歩道に上がるところでも、子どもの体が跳ね上がる。

 交差点の信号で一時停止をする。まっすぐ行きたいところだが、歩道は反対側にしかない。仕方なく、反対側にわたり、段差を乗り上げ、アップダウンを繰り返し、ペダルをこぐ。

 2つ目の信号を渡ると、道が少し狭くなり、交通量も少なくなる。歩道は白い線で区切られているだけだ。交通量は少ないとはいえ、この道をいくと、食材の戸別配達の配送センターがあり、時折、大きなトラックと乗用車がすれ違い、白線を大きく越えて行き来している。

 さらにいくと、白線の内側が、わずか10センチ位になってしまった。子どもを乗せていると、時々バランスを崩し、白線を越えてしまう。

 歩いているにはさほど、障害にならない、たった1センチの段差が、こんなにきついとは思わなかった。段差は車輪の大敵だ。自転車だけではない。車いすやベビーカーを利用する人にとっては、もっとわずらわしいものだろう。歩道が十分に確保されていないところでは危なくて、通ることさえできない。子どもの安全も懸念される。

 道路特定財源についての議論が、連日とびかっている。大きな道路も必要なのかもしれない。しかし、政治家の皆さんには、大きな車に乗って、大きな道路を通過するだけではなく、生活者の視点に立ち、生活者の道路を見ていただきたい。

 ドライバーにとっては、車は便利かつ快適この上ない。車に乗り込み、エアコンを効かせ、オーディオをつければ、暑さ寒さも関係なく、騒音も排気ガスも気にならない。私たちは、車が通るのが当たり前になり、騒音や排気ガスに慣れてしまっているが、やはり不快な音であり、不快な空気である。ときには、地球をむしばむ二酸化炭素をまき散らし、人の命を奪う凶器にもなる。

 ところで車に不可欠のガソリンであるが、誰でもガソリンが高くなるのはいやなもの。そこでこう考えてみてはどうだろう。

 車を利用する人は、そこに生活する人々への、そして地球への、いわば迷惑料としてガソリン税を支払う。その税金が、車椅子の人も、ベビーカーを押す人も、子どももお年寄りも、すべての人が安全に通行できる道路づくりに使われるのであれば、私は1リットル25円のガソリン税を払ってもいいかなと思うのだが。

 日々、使用する道路が、優しく安全なものになれば、交通事故の減少はもちろん、地球温暖化の問題にも、少子化の問題にも、犯罪の現象にも、一役買うのではないかと思うのは、私の楽観的な考えだろうか。

(記者:木下 知保)

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