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2008年04月27日(日) 14時12分

新一条流がんこラーメン 「客至上主義」の味 産経新聞

 ラーメン激戦区といわれる東京・池袋。サンシャインビルを見上げる飲食店の厨房(ちゅうぼう)に風変わりな男がいた。あごひげを蓄えたさまは芸術家のようにみえ、ボディービルダーのような体は武道家とも思えた。

■写真■西早稲田店名物「えび油塩ラーメン」

 男は「新一条流がんこラーメン」の創始者家元、一条安雪(やすゆき)(61)。白のランニングに作業ズボン。首から、しわしわのタオルを下げている。

 「オレが子どものころ、ラーメン店の主人は、みんなこんな格好だったんだよ」
 店から張り出したシートは黒くスプレーされ、店名は見あたらない。軒先に牛の大たい骨が鎖でぶらさがっている。

 豊島区の大正製薬本社前で昭和58年、初めてラーメン店を開いたときは「ラーメン道場」という屋号があった。おいしいラーメンを出したかったから忙し過ぎるのがいやになってきた。

 「店名を消せば、本当にラーメンが好きな人しか来ないと思った。それには黒いスプレーで消すのが手っ取り早い。それでも目印は必要だと思い、ガラに使うゲンコツが浮かんだ」

 スープがしょっぱい。最近は健康ブームで薄味がはやっているが、一条には関係ない。

 「実は塩分は感じるほど高くはない。化学者じゃないから理屈はわからないが、秘密はダシ。かつお節やコンブといったダシを大量に使うと同じ塩加減でもガツンと舌に感じるんだ」

 月に1、2回出す特別なラーメンがある。「悪魔ラーメン」と名付けた。ダシは、カニやカメ、バナナなどを使う。

 「ふつう納豆にわさびを入れようと思わないだろ?。でも、これは結構いける。おれはラーメンにあうと思った具材は挑戦してみる。イチゴは失敗しちゃったけどね」
 「悪魔」は、ふだん出すラーメンよりさらにしょっぱい。

 「授業で教師がいい話をしても、小さな声で後ろの生徒に聞こえないのはダメ。うるさくても聞こえることが大事。料理も同じこと。1回目は塩辛過ぎるという人も3回食べると魅入られたようにはまる」

                ■■■

 宮城県白石市で生まれた。仕事を転々とした亡き父の安男に連れられ、神奈川県や都内で引っ越しの繰り返し。

 「陸軍で満州帰りのおやじが、たまにラーメンを作ってくれた。しょうゆの香りが強く、すごくうまかった。小学校3年のとき、まねをして作ってみたが失敗。これが、おれのラーメン作りの原点だね」

 夜間高校に通いながらマッサージ師の資格を取り、卒業後はサウナに勤めた。器械体操をしていたこともあって、ウエートリフティングを始めた。体重60キロで147・5キロを挙げ、当時の世界5位の記録。今でも麺の湯切りをする腕はたくましい。

 その後、同じ所に長くいられない父のDNAを受け継いだのか、一条も横須賀や横浜と勤め先を転々。27歳のときに同い年の喜恵子と結婚、六本木でマッサージ店を開いた。

 「店名はホグレッタマッサージ院。本当だよ。院長の名は肩腰楽太郎、まあ、おれのことなんだけどね」

 仕事が休みのとき独学でラーメン作りに没頭したが、「最初は食えたもんじゃなかった」。試行錯誤の後、ホームシックになった喜恵子のため思い札幌に引っ越し。ワンボックスカーで屋台ラーメンを始めた。

                ■■■

 転機は37歳。東京に戻って初めて店舗を構え、「一条流」の原型となるスープを作る。

 「若者はビーフコンソメ味のスナック菓子と焼き肉が好きだった。そこがヒント。牛骨をガラに使おうと思った」

 店名を消してまもなく、テレビ局が取材に訪れた。

 「気まぐれラーメン、へんくつラーメン、がんこラーメン、とかお客さんに呼ばれている。好きな名前を付けていい」と言ったら、番組でがんこラーメンとテロップが流れ、以来、この名で定着した。

 食材選びは頑固だが、気張ったところはない。ラーメンブームで登場する料理人をみて感じることがある。

 「作り手のこだわりが必ずしもお客さんに伝わるとはかぎらない。お客さんにとって、うまいかどうか結果がすべて。料理人は自分のこだわりをお客さんに押しつけてはいけない」

 旧知のラーメン評論家、石神秀幸(35)は、「ラーメンが高級食になる時代になったとしても、一条さんだったら大衆食品であることを強調する。だから、あえてしょっぱい味を続けているし、麺も固い。ぱっと見はとっつきにくそうにみえるけど、カウンター席しかないから、人と話すことが大好き。いくつになっても、子どものような探求心を忘れない人ですね」と評価する。

 食べに来た客や雑誌で知った人がラーメン作りの教えを請いに一条のもとに集まる。「分家」と呼ばれる一門は、都内のほか、浜松市や大阪市など19店になった。

 一条は自分の店が軌道に乗ると新弟子に任せ、新たなラーメン創作のための食材探し旅に出る性分がある。これまでも青戸、四谷、西早稲田、都電の早稲田駅前と店の場所を変え、そして池袋からも、まもなく旅立つのだという。

 「骨がぶらさがっている店が新しくできたら復活。最初に始めた店以来、不思議にこの豊島区には縁があるなあ。また戻ってくるかもしれないよ」

 ラーメン界の寅さんか…。
=敬称略
(文 昌林龍一)
(写真 小松洋)

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