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2008年04月26日(土) 20時09分

聖火リレー 声援は政治にかき消された 長野朝日新聞

 北京五輪の長野聖火リレーが26日、厳戒態勢の中で終わった。卵を投げつける人や、隊列に走り込む人が出て会場には緊張感が漂い、楽しみにした市民にはランナーの姿はほとんど見えなかった。怖がって沿道に出るのを控えた人も多く、「聖火って一体なんなの」との疑問も漏れた。

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 聖火リレー沿道の観衆は約8万6500人にのぼった。ほとんどは中国やチベットの巨大な国旗を振ったり、プラカードを掲げたりする人たち。地元・長野市民の姿が政治の渦にかき消された、「市民不在」の18.7キロだった。

 「近所の人が全然いないよ」。陸上の末続慎吾選手が走ったスタート会場の近く。赤いTシャツの若者で埋め尽くされた沿道で、初老の男性があたりを見回した。

 畳1〜2枚分はある旗が、無数にたなびく。沿道からは、日本語の声援は何も聞こえない。「これじゃ、聖火が全然見えないじゃないか」。言い捨てて、男性は去った。

 公募枠でランナーになった信州大4年生丸山佳織さん(21)も「中国の人がすごく多かった」と、中継地点を取り囲む赤い旗に戸惑った。

 少林寺拳法の道場を市内で開く荒井高志さん(64)は、中国大使館の要請を受けて、沿道で雑踏警備のボランティアに参加した。

 98年の長野五輪時には千人を超える門下生がボランティアで警備にあたった。が、この日はわずか25人。「リレーが政治的な対立の場になっているので参加したくないという意見も多くて……」。歯切れが悪かった。

 長野県佐久市の春原直美さんは、この日、日本語教室のボランティア活動に行った。長野県国際交流推進協会の事務局長。

 市民ランナーがいて、それを応援する人がいて、沿道から拍手や掛け声がわき上がる——そんな理想の姿とは、ほど遠い聖火リレーがテレビに映った。「国際交流とも別次元のものになってしまい、残念だ。これだけ騒いで何が残ったのか」と疑問を投げた。

 スタート地点から5キロほどのコース脇の神社では、地元の住民30人ほどが早朝から境内の掃除に忙しかった。数日後の春祭りに備えた草むしりだ。「聖火が通るって言うけど、色々混乱してて大変なんでしょ」と、軍手姿の村田千恵子さん(82)。

 聖火が目の前を通り過ぎるとき、村田さんは手を止めた。パトカーに続いて現れた警察官の集団の中に聖火がチラッとだけ見えた。行列が去ると、また腰を折り、草を取り始めた。「長野五輪のときはもっと聖火が身近だった。今回は何か雰囲気が違う」

 到着式会場の若里公園に来た長野市の短大生北原成美さん(20)は、国歌を歌う中国人留学生が次々と押し寄せるのが怖くなって、会場を遠巻きにした。98年の時は小学生。わくわくしながら聖火を見に行った覚えがある。

 「チベット問題を訴える人も、それに対抗する中国の人も、五輪や聖火リレーを自分の主張に利用している感じがする」

 79番目に走ったマラソンの有森裕子さんは、コースの左右で中国側とチベット側に分かれて怒鳴り声をぶつけ合う人たちが、自分を見ていないのに気が付いた。「普通ではない中で行われた聖火リレーに参加した一人として、走ってみて複雑でした。世界の状況を考えずにはいられません」 アサヒ・コムトップへ

http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY200804260287.html