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2008年04月25日(金) 14時56分

ボスポラスから太平洋へ、アジア完全走破の誓いオーマイニュース

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 地球一周40000キロを自転車で走る。壮大な夢を抱いて僕は世界へ飛び出した。滞在2カ月目のイスタンブール、七夕の夜に旅人たちが願いをかける。

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 (ここからは、すべて走ろう)

 ボスポラス海峡を船で渡ると、そこはアジアだ。空は青く、カモメがゆっくりと飛翔(ひしょう)していた。青い海の向こう側に、トプカプ宮殿やスレイマニエジャミイの尖塔がたたずんでいるのが見えた。あの旧市街の一角に、55泊もしたコンヤペンションがある。

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 対岸のハレム地区に降り立ち、僕は自転車にまたがった。近所の屋台から、焼いたケバブのにおいが立ち込めていた。

 ボスポラスから太平洋までのすべての道のりを、僕は自転車で走り切るつもりでいた。北中米やアフリカではたびたび列車やバスのお世話になった僕であるが、今年中に帰国するという当初の予定を繰り延べた今、急ぐ理由はなかった。むしろ今まで、先へ先へと急ぎ過ぎていたような反省があった。

 後半の楽しみにとっておいたシルクロードを、じっくり味わおう。一切交通機関に頼らず、自転車によるアジア完全走破に挑戦したい。そう決めたのだ。

 ポケットには財布が1つ入っていた。メキシコシティの地下鉄ですられて以来、ほぼ1年ぶりに持つ財布だった。コンヤペンションで土産として売られていた手製の品で、イスタンブール生活の思い出に買っていこうと思ったものだった。

 「これ1つ買おうかな」
 「どれがいいの?」

 格子模様や、花をあしらったような図柄が多かった中で、僕は女の人が踊っているスーフィーダンスの絵が描かれたものを選んだ。

 「あげます」

 壁から財布1つを取り外し、エリフは僕にその財布を餞別(せんべつ)代わりにくれた。7月20日、ついに僕はイスタンブールを離れた。

 一路東へ。

  ◇

 海沿いに小刻みなアップダウンが続く道。久しぶりの自転車でお尻が痛い。しばらくは市街地が続き、交通量も多い。ついに出発したという高揚感よりも一人旅に戻った寂しさが先に立ち、体力も心なしか落ちているような気がした。

 およそ1時間、20キロ走って小休止という今までどおりのやり方を繰り返す。何度目かの休憩をしたガソリンスタンドでは、従業員たちが食事をとっていて、僕はキョフテと呼ばれる肉団子をもらった。

 「どこから走ってきたんだい」

 おじさんから質問をされ、僕はとっさにイタリアからだと答えた。

 「どこまで行くんだい?」
 「イランです」
 「イランまでどのくらいかね」
 「3週間くらいです」

 コンヤペンションに滞在中、エリフや彼女の両親としゃべって訓練したトルコ語が、早速役に立った。トルコ語は日本語と同じ膠着(こうちゃく)語であり、「まで」とか「から」という助詞の用法が似ているため、単語を並べるだけでも、それなりに文章としての体裁を作るのが楽だった。

 「英語より日本語のほうが簡単よ」

 エリフの言っていたことが思い出された。

 片言でもトルコ語を駆使できると、相手の反応が全然違う。

 「トゥーキィエ、ビル、ジャポニャ、スフィル(トルコ1点、日本0点)」

 下手に言葉が通じるとみなされて、いまだワールドカップで日本が負けたことをネタにされるのがしゃくだったが、それは仕方がないというものだろうか。

 イスタンブールから100キロ、イズミットという港湾都市に着いた。3年前の1999年に大地震が起きた町であるが、見る限りその後遺症は特に感じられなかった。ガイドブックに載るような町ではなく、僕は街路を1つずつ巡り、ホテルの看板を見つけては、その料金を尋ねることを繰り返した。

 夕暮れどき、疲れた身体をもうひと踏ん張りさせて寝床を探さなくてはいけない事実が、また僕に旅に戻ったことを痛感させた。高校生くらいの少女が道を教えてくれて、やっと手ごろな宿を見つけることができた。

 そして、2カ月ぶりに独りぼっちになった寂しさに本当に気づいたのは、夜だった。

 食事も1人、宿に戻っても部屋に自分1人。今日1日あった出来事を語らう相手はなく、旅行者にあふれていたコンヤペンションが懐かしかった。酒屋でビールを仕入れ、テルくんにダビングしてもらった最新の日本の曲を聴きながら、ほかに誰もいない部屋で、僕は1人酔った。

  ◇

 翌日は雨交じりの曇天。3日目も午前中は雲が多い。しかし午後、ゲレデという分岐の町を通りすぎたあたりで、不意に青空になった。狭かった視界も突然開けた。緑の高原が広がり、爽快(そうかい)な下りの一本道が現れた。

 その景色の広さに、僕は漠然と、これがアジアだと思った。

 (走れ、走れ)

 休息のときは終わった。今僕は、また新しい旅を始めようとしているのだ。

 この道はインドや中国へと続く。見知らぬ世界が、僕の来るのを待っている。坂道を下りながら、風を切りハンドルを握りしめ、内陸の首都アンカラまで140キロなどという道路標識を横目にしながら、僕はTシャツをまくり上げた二の腕にわさわさと鳥肌が立つのを感じた。

【2002年7月22日
 出発から18528キロ(40000キロまで、あと21472キロ)】

(記者:木舟 周作)

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