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2008年04月25日(金) 11時47分

娘にいろいろな「心」を持たせてあげたいオーマイニュース

 「娘が1級合格しました!」

 先日、私が日ごろお世話になっている方の娘さんが、算盤(そろばん)の1級に合格したという知らせを頂いた。小学1年生から始めている算盤、小学校生活最後の6年生にしての1級合格である。

 報告をしてくれた母親にとって、それは大きな喜びなのだろう。まるで、自分自身が合格したかのような喜び具合であった。感極まるものがあったのだろうか。涙交じりの報告に、私自身、胸を打たれた。

 親子で走ってきたこの6年間、2人にとってどのようなものだったのだろうか?

■「結果」の裏側にある過程

 この算盤1級であるが、非常に難しいものであることは言うまでもない。

 私自身も、遠い昔、2級に合格したことがある。だが、それは決して簡単なものではなかった。壁につまずき、涙を流した覚えもある。小学5年生の寒い冬の時だった。合格発表の紙に自分の名前がない。それまでトントン拍子に合格を重ねてきただけに、初めて味わう敗北に、体全体が震えたのを覚えている。幸い、2 度目で合格をすることができたが、その後、1級の問題を見た時に、私の算盤にかける気持ちは一気に沈下してしまった。

 「これはおれには無理だ……」

 トライする前からの敗北宣言である。ちょうどそのころ、小学校生活も終わりを迎える時期で、余計に私の熱意は奪われた。言い訳かもしれないが……。

 私はこの親子を取材させてもらった。なぜか? 私が成し得なかったものを得ているからだ。

 「なぜ、1級を取ることができたのか?」

 私はやる前から敗北宣言をしてしまったが、合格をした娘さんにはそれはなかったのだろうか? どういう経緯で合格することができたのだろうか?

 そして、もう1つ取材をする理由があった。それが、私の中にあるテーマ、「感動」である。

 小学校6年間を費やし、算盤の王様を射止めた(もちろん上を見れば「段」があるが……)からには、きっとたくさんのドラマが隠されているはずである。

 「結果」の裏側には必ず「過程」がある。

 「結果」は目に見えるものとして表れるが、「過程」は目には見えづらい。その「過程」を追えば、「結果」につながるものが見えてくる。そしてそこにはドラマがあり、「感動」があると思っている。

 だからこそ、「親の想いと子の想い」を、語ってもらったのだ。

■自信を得た瞬間

 「人間は裸になっても、“持っているもの”がすべてです!」

 母親が口にしてくれた言葉である。算盤を始めさせた時、彼女には1つの思いがあったという。

 「たくさんのものを持たせてあげたい!」

 娘さんが通う算盤教室は、週2回90分〜120分の学習をこなすカリキュラムになっていた。小学1年生から始めているこの算盤、最初はその時間に抵抗があったという。

 「学校とは違う雰囲気に、最初は戸惑いもありました」

 友達が少ないこともあり、余計に時間が重くのしかかったとも言う。まして小学校入学したばかり。不安はたくさんあっただろう。

 娘さんにとって、親のすすめで始めた算盤だが、心配はやはりあったようだ。だが、その不安の種を取り除いてくれたのが、「検定試験」である。

 「算盤10級」

 娘さんにとって、これが生まれて初めての試験でもあった。母親はあの時のことをこう言っている。

 「あの子にとっては、あれが1つのキッカケでした」

 結果は合格!

 本人にとって初めての“自分の力で得た喜び”から、自信を得た瞬間であった。そして、この時感じた喜びが、娘さんのその後の算盤生活を大きく変えることになった……。

 「算盤に行ってきます!!」

 大きな声で1人さっそうと家を飛び出していく姿が見られるようになった。それまでは親と一緒でなければ行けなかったのだが、蛹(さなぎ)が蝶に変身するかのような勢いで変ぼうしたそうだ。

 「あの時は吃驚(きっきょう)しました。『1人で行く!』という言葉に、耳を疑ったほどです。何かが彼女の中で変わったのでしょう。算盤から帰ってくると、その日のことを報告してくれました。今までにはなかったことです」

■裸になっても、“持っている”ものがあれば

 娘さんは回を重ねるうち、さらに算盤にのめりこんでいった。楽しそうな雰囲気をまとい、また、喜びに溢れる感情で体は覆われていた。「合格」によって得られた喜びが、本人の知的欲求につながり、そして、それが楽しさへと切り替わったのであろう。

 変化はそれだけではなかった。それまでは友達をうまく作れなかったが、自分から友達に近寄ることができるようになったのだという。また、自分から算盤を教えてあげたり、“友達との輪”を大事にできるようにもなっていった。

 そして、新しい友達ができることで、競争心が芽生え、さらに算盤を頑張った。

 「いつからか、あの子の中に、もっと頑張ろう! という気持ちが生まれていました」

 母親は取材の最中、度々こう言っていた。

 「私が親としてあの子に与えたいのは、“持っている”ということがとても素晴らしいものだということです。検定の合格も大事ですが、それより何より、友達を大切にする心だったり、自信を持つ心だったり、また、誰かに喜ばれる心を持つことが大事です。人は裸になっても、“持っている”ものがあれば、それがすべてだと私は思っています。この6年間、私があの子にずっと伝えてきたものが、算盤を通して少しでも伝わったように感じました」

 子供の時に得たものは、大人になってでも顕著に表れてくる。

 母親は娘にいろいろな「心」を持たせてあげたかった。

 いろいろな「心」を持つことが、自分を磨くことにつながることを知ってほしかったそうだ。

 「子供はいつか親の元から離れていきます。大事なのは離れた時、子供が何を感じるかです。それは“持っている”ものがあるかどうかで変わります」

■すばらしき親子愛

 娘さんが算盤1級に合格した時、親子は抱き合って喜んだ。今回だけではない。毎回合格するたび、娘と抱き合って喜んだそうだ。時に、うっとうしがられたそうだが、それでも親の気持ちは、子供にしっかり伝わっているようだ。

 「親の想(おも)い、ここにあり!」

 そんなところだろうか。だが、この6年間の道のりは、決して平たんなものではなかった。算盤をぐずる時も何度かあったそうだ。

 「もう、今日は行きたくない!」

 気分が乗らない日も多くあっただろう。しかし、母親は、自分の気持ちを、何度も言って聞かせたという。

 「いい? 今行かなかったら、あなたが来るのを楽しみにしている子はどう思うの? いつも親しくしている友達はどう思う? あなた1人の行動が、どれだけの人をガッカリさせると思う?」

 決して答えは口にせず、問いかけのみをしてきたそうだ。

 答えは自分の中にあるということだろうか。

 1級合格は、娘さんが成し得たものである。本人の頑張りがあったからこそ、成し遂げることができた。そして、それは本当に素晴らしいことである。

 だが、そこには陰の立役者もまたいる。その立役者がいたからこそ、勝利の女神がほほ笑んでくれたのも事実だ。

 母親の想いがあったから、母親の支えがあったから、いつも母親がいてくれたから……。

 最後に、母親はこんなことを言っていた。

 「まだまだです。あの子にはもっと“持ってほしい”と強く思っています。あぁ、まだまだ子離れできない私かな……(笑)」

 母親のはにかむ姿に、娘に対する想いの強さを感じさせられた。

 親の想いにはさまざまなものがある。そしてそれは千差万別だ。子供に伝えたいこと。子供につなげたいこと。そしてそれを親と子で育てていく……。

 親子愛がそこにある。それは素晴らしく、すてきなことである!

 1級合格おめでとう!

 娘さんは4月から中学生になりました。この親子のこれからがますます楽しみです。

(記者:花嶋 真次)

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