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2008年04月24日(木) 12時39分

沖縄戦集団自決冤罪訴訟判決〜事実と真実〜ツカサネット新聞

沖縄戦集団自決冤罪訴訟(原告側呼称)の一審判決が大阪地裁でありました。
訴訟の内容や判決については、各マスコミで報じられていますので、ここでは触れません。
ただ、私としてはこの判決と判決理由には違和感を感じていることを申し添えておきます。

ここで話題にしたいのは、判決前に朝日新聞の取材に対して寄せたという手書きの回答文の内容です。
なぜなら、この内容がこの問題の本質を的確に表しているように思えるからです。

……… 以下、asahi.comの当該記事 からの抜粋………

判決前、大江さんは朝日新聞の取材に「判決にあたって」と題する手書きの回答文を寄せた。「口頭なり文書なりの命令があったかなかったかは、『集団自決』の結果を揺るがせはしない。日本軍の構造の全体が、島民たちにこの大量の死を強制した」と改めて考えを述べ、こう結んだ。

「日本の近代化をつうじて行われた『皇民教育』のイデオロギー復活に道を切り開かぬように努力する。それが私の作家活動の、終生の目標です」

………以上、抜粋………

この発言は、当時自決された方々に対してあまりにも失礼なのではないでしょうか。
集団自決された方々は、本当に自ら強制されたという感覚をお持ちだったのでしょうか。
もちろん、中にはそういう方もいらっしゃったかも知れません。
しかし、中には家族を・故郷を・祖国を護るためにという強い決意を持って、自らの命を捧げられた方もいらっしゃったかも知れません。

実際はどうだったのかは、当事者への取材が不可能である今、決して想像の域をでることはありません。

それにも関わらず、「強制されたから」という一言で、まるで当事者全てが自分の意思を持たない・洗脳された人々のように扱うことは、日本人としての誇りを胸に自決された方々への冒涜であると言えないでしょうか。大江氏とは、死人に口なしとばかりに手前勝手に都合の良いくくりで物事を語る人物なのか…。そう思われても仕方ないでしょう。

かつて、神風をはじめとする様々な特攻攻撃を受けた米国軍人は「パイロットに薬でも打ってるんじゃないか。それとも泥酔してるのか。クレイジーだ。」と恐れたと言います。
しかし、もちろん現実にはそのようなことはなく、特攻隊となった我々の諸先輩は、死の恐怖や家族との離別の苦しみと戦いながら、最終的には自らの意思で特攻を行いました。もちろんこの場合でも強制されて…という方もいらっしゃいました。
特攻隊のケースでは、遺書などが残されていることが多く、比較的当時の当事者の方々の心情を垣間見ることができます。

当時の日本全体が、現代に生きる我々が想像することが難しいほどの極限状態にあったことは、理解できます。だからと言って、人間は思考することを止めるとは思えません。ましてや、自決とは自ら命を絶つことです。そこには、一人一人の考え方や思いがあったはずです。

そういった思いに応えていくのが、遺された我々の義務であるはずです。軍が!皇民教育が!イディオロギーが!と無責任な体制批判をするための道具として扱って良い訳がありません。

この訴訟で問題になった大江氏の著作「沖縄ノート」の執筆過程では、一方の当事者である軍関係者への取材どころか、取材依頼さえ一切行われなかった事実が、曽野綾子氏の著作「沖縄戦・渡嘉敷島『集団自決』の真実」で明らかになっています。

つまり、大江氏は偏った資料と偏った集合への取材だけで「日本軍の構造の全体が島民たちにこの大量の死を強制した」と判断していることになります。

通常、真実を知りたい・事実を知りたいという思いがあれば、両方の当事者・関係者への取材を行うのが当然ではないでしょうか。しかし、大江氏はそれを行いませんでした。
つまり、真実や事実には全く興味がなく、ただただ自分のイディオロギーを主張したいだけであったと思われる行動を取っているのです。

判決後の会見で大江氏は次のように語られたそうです。
「今回の判決で、軍の関与は非常に強いものだったことが明らかになった。教科書に『関与』という言葉しかなくても、教師はその背後にある恐ろしい意味を子どもたちに教えることができる」

私は一人の日本人として、また一人の親として、大江氏の言うような教師には絶対に子供の教育を任せることはできない。そう断言できます。

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(記者:道草)

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