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2008年04月23日(水) 20時19分

携帯電話の「便利さ」に踊らされないでオーマイニュース

 それは4月15日の昼間。所用で池袋に行ったときのことだ。目の前から、20歳前後の男性が歩いてきた。彼が手にしているのは携帯電話。電話しながら歩いている。街中でよく見る光景だ。

 私は彼に早くから気付いていた。向こうから歩いてくる。私は彼の方向に歩いて行った。必ず交差をする瞬間があるというのを分かっていた。だが、彼はまったく気付かない。携帯電話に夢中だったので。

 そしてすれ違う瞬間、ようやく私が来ていたことに気付いたのか、狭い道、ぶつからずに済んだ。私はすれ違った彼の後ろ姿を、少しの間、立ち止まり見続けてみた。すると、彼は何事もなかったかのように、電話しながら去っていった。

 また、その数分後。交差点を渡ろうとしたときである。今度は女性が、ずっと携帯電話を見ている。赤信号だったこともあり、待っている間、見ているだけだろうかと思った。だが、信号が青になっても、その女性は携帯電話から目を離そうとはしない。まるでおでこに目があるかのように、自分の目で確認もせず、携帯電話を片手に渡ってしまった。

 「青信号は渡れる」の認識はあったのだろうが、周りを何ひとつ見ようとしないで渡る姿に、恐ろしさを感じた。

  ◇

 世の中、こういうケースがたくさんある。携帯電話を見ながら歩いたり、自転車をこいだり。このような光景は当たり前のように目にする。しかも日増しに増えていくような感じさえする。

 携帯電話は確かに便利であり、今の時代においては「なくてはならないもの」だろう。私自身も使っているので、なくなったときの不便さは何となく想像できる。だからこそ、マナーを守る必要がある。車や自転車の運転中に禁止されているが、歩行中の使用を制限する法律はない。なのに、運転中に携帯電話を使っている姿を多く目にする。私も運転をする身。電話をしながら運転している人とすれ違う度に、ドキドキすることがたくさんにある。

 このようなのを見てしまうと、「いつか事故が起こるのではないか」と人ごとではない思いにかられる。周りを見ないでの歩行や自転車は特に危険極まりない。そして、「いつか事故起こすよ」と思っていた同じ日の午後。

 帰宅する途中、学生が携帯電話を見ながら自転車を運転していた。それは、ほんの一瞬の出来事だった。

 学生がまっすぐの道を行くのかと思いきや、急にハンドルを切り曲がろうとした。曲がる場所は勝手知ったるところなのだろう。運転は手慣れたものであった。しかし手にはしっかり携帯電話がある。もちろん視線の先は曲がる先ではなく、携帯電話であった。

 角を曲がるときだけ携帯電話から一瞬だけ目を離した。そしてすぐにまた視線を携帯電話に戻す。そのとき……。

 角を曲がった先に女性が歩いていた。学生が気付く様子はない。後ろ向きで歩いている女性に気付いたのだが、遅かった。学生の運転する自転車が女性の左腕にあたっていた。幸い、直撃ではなかったため、女性は驚いてはいたものの、大事には至らなかった。

 だがびっくりしたのは、ぶつかったこと以上にその後の学生の対応だった。何もせずに行ってしまったのである。謝りもせず、ただ無言で疾走してしまった。どう考えても学生に非があるのに、知らん顔。私はただただ言い知れぬ憤りを感じてしまった。

  ◇

 この日の事例で、携帯電話のこれからを見たような気がする。自分自身が原因で起こる事故も多い(もちろん「もらい事故」もあるが……)。今の世の中、この携帯電話のマナーがあまりにも希薄になりつつある。

 本来、「便利さ」というのは人々の暮らしを豊かにするためにあるものであり、それが目的で世の中に普及されるわけである。だが今の在り方は、その便利に自分が使われている状態になってしまっている。常にその便利さの中に自分を置いていなければならず、また、その便利さをいつも感じていなければ不安さえ覚えてしまうように見える。

 もうそれは「依存」という言葉しか見えてこない。それも少し異常ささえ感じるほどでもある。

 ルールがなければ、自分でルールを作ればいい。使うときのマナーを自分で考えればいい。携帯電話を使う人間誰もがあてはまることでもある。

 携帯電話のマナーを、今一度考えなければならないときに来ている、そんな気がしてならなかった。

(記者:花嶋 真次)

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