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2008年04月18日(金) 16時54分

第六号潜水艇の第99回追悼式が開催オーマイニュース

 15日、広島県呉市にある鯛乃宮(たいのみや)神社で旧海軍第6号潜水艇殉難第99回追悼式が行われた。

■全員殉死した第6号潜水艇の事故

 旧海軍・第6号潜水艇は明治39年(1906年)、わが国で初めて建造された全長22.5メートル、排水量わずか57トンの当時「どん亀」と呼ばれた潜水艇であったが、明治43年(1910年)4月15日、山口県岩国市新湊沖で半潜行(シュノーケリング)訓練中に事故のため沈没したのである。

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 この事故により、第6号潜水艇の佐久間勉艇長以下14人の乗組員は各自が最期まで自分の持ち場を守りぬき全員殉死したのである。

 特に佐久間艇長は苦しい状況の中で将来の潜水艦発展のために、沈没の原因および沈没後の実情を克明に書き留め、部下たちの遺族へ特別の配慮を望み、死に直面した中においていささかも冷静さを失わなかったのである。

 佐久間艇長ほか全乗組員たちの強い責任感と使命感をもった行為は、その当時国内のみならず遠く海外にまでも伝わり、多くの人々に深い感銘を与えた。

 大正元年(1912年)、第6号潜水艇殉難を永久に追悼するために、ここ鯛乃宮神社境内に殉難の碑が建立されたのである。

 終戦後、進駐軍の命によりこの慰霊碑は解体されたが昭和34年(1959年)、殉難50周年を期に高さ19メートルの慰霊碑が再建され、この慰霊碑の中には第6号潜水艇の実物スクリューが保存されている。

 碑の周囲に佐久間艇長のレリーフ、14名全乗組員の氏名・略歴・出身地、第6号潜水艇事故の経緯、艇長の遺書(一部)などの銅版プレートがはめ込まれている。

 毎年4月15日に、呉市内を見下ろす鯛乃宮神社境内において、海自関係者および多くの来賓、市民が参列して追悼式が行われている。今年も桜吹雪が舞う中、第99回追悼式が厳粛にとり行われた。

 関係者による追悼の言葉や献花が行われたのち、現役潜水艦艦長が佐久間艇長の遺書を奉読し、海自儀仗(ぎじょう)隊が一斉に空に向けて弔砲を撃ち、海自音楽隊が追悼演奏を行って追悼式は終了した。

■佐久間艇長遺書(抜粋)

 「小官ノ不注意ニヨリ陛下の艇ヲ沈メ部下を殺ス 誠ニ申訳無シ サレド艇員一同死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニ事ヲ処セリ 我レ等ハ国家ノ為メ職ニ斃レシト雖モ唯々遺憾トスル所ハ 天下ノ士ハ之ヲ誤リ 以テ将来潜水艇ノ発展ニ打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ憂ウルニアリ 希クハ諸君益々勉励以テ此ノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ尽クサレン事ヲ サスレバ我レ等一モ遺憾トスル所ナシ…(中略)」

(記者:松原 ただし)

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