記事登録
2008年04月17日(木) 17時40分

城跡だけど、日本100名城のひとつオーマイニュース

 東京都八王子市に今も城跡が残る「八王子城」。関東で勢力を誇っていた北条氏最大の支城でした。詳しくは八王子市のWebサイトの八王子城址のページがあります。

ほかの写真も見る

 2005年に日本城郭協会により「日本100名城」に選定されました。江戸時代は徳川幕府の直轄地であり、明治以降は国有林だったため、落城当時の状態で保存されており、戦国時代の山城としては珍しい石垣を取り入れた城であった事が選ばれた理由です。

 現在は八王子城跡管理棟から、向かって左側にある「古道」から「御主殿(客を迎える場所)跡」までの道のりは整備され、気軽に見学(無料)出来るようになっています。本丸跡は山道を40分以上かけて登らなくてはならないため、普段着では心もとなく断念しましたが、御主殿跡までは多少の傾斜や段差はあるものの、徒歩で10分程度のため、スニーカー程度で十分歩けました。

 「古道」は「御主殿」へ入る道としてかつて使用されていました。城山川に架けられた「曳橋」は、4月15日に渡った時には木の香が漂う程、真新しい感じでしたが、戦国時代の雰囲気を考えて架けられたものです。橋を渡ると、正面に石垣が見えてきます。看板の説明によると、城の入り口である虎口付近にあるこの石垣の中には、土の中に400年間崩れずに残っていたものもあり、検出した状態そのままにしてあるそうです。

 破損していたものに関しては、できるだけ当時の形に忠実に復元されています。戦国時代の石積様式を示す、全国でも貴重なものです。石垣は石の大きさはバラバラですが、積み上げられたすき間に小石が詰められて強固にしてあります。階段全面に石が敷き詰められていますが、これは八王子城独特なものだそうです。

 御主殿跡そのものは、まさに「跡」という感じで、一見ただの広場のようでしたが、発掘調査の際に約7万点もの遺物が発見されています。日本で唯一のベネチア産のレースガラスなど珍しいものも発見されています。出土品は八王子市郷土資料館に展示されていますので、見学可能です。

 北条氏が天下統一を目指す豊臣秀吉に従わなかったため、その支城である八王子城は1590年に前田利家・上杉景勝両軍の圧倒的な戦力で攻められ、1日で落城。曳橋上流にある「御主殿の滝」で北条方の女性や子ども、武将らが自刃して身を投じたため、城山川の水が3日3晩赤く染まったという伝説があります。

 透明な水と緑あふれる景観を見ると、そのような血塗られた過去があったとはみじんも感じられませんが、石垣の強固さと、何もない御主殿跡を眺めた時、戦国時代のはかなさが少し伝わってくるような気がします。

(記者:林 美幸)

【関連記事】
林 美幸さんの他の記事を読む
【関連キーワード】
城址

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080417-00000011-omn-l13