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2008年04月16日(水) 10時53分

『おふくろさん』の川内康範さんの知られざる側面オーマイニュース

 4月6日に有名な作詞家として知られる川内康範さんが死去していたことを、すでに多くのマスコミが報じている。

 『おふくろさん』の歌では、無償の愛を基調に、『花と蝶(ちょう)』では、女を花に、男を蝶に例えて、激しい愛を基調に作詞。昭和30年代の月光仮面の歌、昭和40年代のレインボーマンの歌では、愛と勇気を、そして昭和の名作アニメ『まんが日本昔話』の監修などでは、子供たちに純粋な気持ちを与えた。

 しかし、私たち庶民があまり知らない側面として、歴代の総理大臣との関係というものもあった。

 私が、川内さんの人生で、1番の謎と個人的に思うことがある。世間の人々が「角福戦争」という言葉で記憶したであろう、犬猿の仲であった田中角栄氏と、福田赳夫氏の両陣営と人間的な太いつながりがあったという点だ。今でも、両総理の子供には過去のわだかまりが残っているという状況にも関わらずだ。

 1974 年(昭和49年)、雑誌『女性自身』が、田中角栄氏の女性関係を記事で大きく扱おうとしたときに、女性自身の富田編集長のところに出向いて、「やめろ」と申し入れを行ったことがあるそうだ。そして、それを、故・正森成二元日本共産党衆議院議員が国会で、「民主主義の面から問題だ」と批判したというようなこともあった(昔から、価値観で頑固な面があったようだ)。

 ご存じのように、田中角栄氏は、ロッキード事件で、その後、逮捕されるが、川内氏は田中角栄氏を巨悪的に書く論調に、自著で反論している。

 自民党の歴代の政治家とかかわりながら、金権的な部分に毒されなかった川内さんは、やはり信念のある一方で、珍しい人でもあったのかもしれない。

■戦後の日本にもし、川内さんがいなかったら…

 そんな事情もあったが、一方で、旧福田派の人々に助言する立場もまた健在。昨年(2007年)、福田総理が薬害肝炎問題に関して、厚生労働省の官僚の言い分ばかりを聞いており、国民が「冷たい」と感じていた時期、川内さんは、福田康夫総理に面会して、薬害肝炎問題で被害者側に配慮した対応を要望する助言を行っていたという。

 4月7日ごろに、マスコミから川内康範氏の死去に関して、コメントを求められた福田総理は、「いろいろと助言を頂いた」と、テレビ朝日系の報道記者などに素直に話している。

 私のような若輩者に的確なことは言えないが、川内さんの、ある程度欲を捨てた行動が、世間で言う「角福戦争」のレベルを超え、さらに、自民党、国民新党などの党派を超え、独特の人脈形成につながったのではないかと思われる。

 近年は、「おふくろさん騒動」での森進一さんとの確執(勝手に歌う歌詞を変えられたと激怒する場面など)が大きくとりあげられていたが、川内さんの歌詞の根底に溢(あふ)れている「無償の愛」は、途切れることなく、薬害肝炎問題や子供たちに対して強く溢れていた。

 1984年ごろのグリコ・森永毒物混入事件では、店頭のグリコや森永の関連商品に、少量の毒を入れる犯人に対して、「大金をやるから犯行継続をやめろ」と言ったこともあった。

 多分、子供向けの作品に多くかかわってきた人間としては、弱者である子供が食べる可能性の高い商品に毒を入れたり、「子供は天使(エンジェル)」と犯行文で書きながらも「子供の巻き添えを気にしない」と言う犯人の矛盾行為が許せなかったのだろう。

 歴代総理と親しみながら、湾岸戦争やイラク戦争には反対したり、「アメリカの押し付けであることは承知しながら」と前置きし、戦後の日本国憲法を平和面から肯定し、おふくろさん騒動で騒がれたあとも、薬害肝炎問題などの社会問題を気にしていた川内さんは、実は、複合的に物事が見ることができた人だったのではないだろうか。

 総括すると、子供には真っすぐな愛と正義を、大人には、無償の愛や、激しく燃えるような愛など、数多くの愛の形を表現していたのではないか。

 矛盾に対しては、普通の人以上に激怒して感情が揺れる場面があったが、1本の太い針金のような信念があったのではないだろうか。

 川内さんが、戦後、日本にいなかったら、そして、あの月光仮面の歌がなかったら、昭和の特撮ヒーローたちも、人気者になるまで、まだ、だいぶ時間がかかって、昭和の文化に微妙な影響を与えていたかもしれない。

(記者:谷口 滝也)

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