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2008年04月13日(日) 12時04分

【明日へのセーフティーネット】再生の手がかり(5)「告発力」産経新聞

 ◆呪縛解き 支える側に立つ

 東に太平洋、西に阿武隈山地が広がる人口約3万2000人の茨城県高萩市。ここで平成18年2月、児童養護施設で育った草間吉夫氏(41)が、施設出身であることを公言して市長選に挑み、当選を果たした。現職や議長経験者ら有力候補を破っての当選だった。

 草間氏は「不幸な出生を背負った立志伝中の人などと思われると、むしろ迷惑だ」と、自著『ひとりぼっちの私が市長になった!』で記すが、彼の生い立ちは複雑だ。

 私生児(非嫡出子)として生まれた草間氏は、生後すぐに乳児院に預けられ高校卒業まで19年間、同市の児童養護施設「臨海学園」で過ごした。その後、東北福祉大学に進学。施設指導員などを務めた後、松下政経塾で学び、3カ月の準備で市長選に立った。

 施設出身者を取り巻く現状は厳しい。著書では、精神疾患を患い生活保護を受けていた母に抱いた複雑な心情や、腕力がものを言う施設内の上下関係やいじめについても取り上げている。

 「人なつっこい子でしたが、明るい顔をしていても、心の底では多くの悩みを抱えていたんでしょうね」と臨海学園時代の草間氏に指導員としてかかわり、現在は園長の大橋正男氏(62)はいう。

 「施設の子」は、いったん施設を出ると、身寄りがいないか、いても頼りにできないため、就職するにもアパートを借りるにも、身元保証人の引き受け手もなかなかいない。結婚となると、施設出身であることを理由に断られることは珍しくないという。大学全入時代を迎えるなか、臨海学園から大学へ進学したのがいまだに草間氏1人という事実も、施設の子供たちが置かれた現実を物語っている。

 草間氏も「生い立ちは負の元凶」と思っていた。しかし、この気持ちを転換させたのが、生い立ちを告白する「スピークアウト」の経験だった。最初の告白は、松下政経塾の入塾願書の作文。生い立ちのありのままをぶつけた。結果は合格だった。このとき、「なんで、おれだけ」「施設の子」という幼いころから続いてきたマイナスの呪縛(じゅばく)を初めて自力で解いた気がした。

 それは「自分は血縁には薄かったが、他人の縁には恵まれた」と生い立ちの別の側面を自ら確認する機会にもなった。施設の園長、指導員、季節ごとに里親として自宅に受け入れてくれた元高萩市長…。肉親ではなくとも、支えてくれる多くの人の存在に改めて気がついた。

 「子供にとって大切なのはかかわる人。かかわり合いの量が、愛情だととらえることができます。われわれの世代に比べても今の子供たちはその量が激減している。いまこそ、親子軸、親族軸、地域軸のすべてで愛情の基軸を再生すべき時代だと思います」と話した。

 古い歴史があり、かつては炭鉱町としても栄えた高萩市だが、近年の地盤沈下は著しい。現在の市の姿はかつて孤立無援とも思えた自分の姿に重なる。自分が支えられたように、今度は支えようとする側になりたい。

 市長就任から1年9カ月は長年膠着(こうちゃく)していたごみ処理新施設整備の関連予算を僅差(きんさ)ながらも市議会で成立させ、10年ぶりの企業誘致にもこぎ着けるなど業績を積み上げつつある。草間氏は「市民の気持ちにまず火をつけたい。自然にも歴史にも恵まれた高萩には十分チャンスがあると思うんです」と語った。

 社会にはさまざまなセーフティーネットが張りめぐらされている。その理念は「支え合い」だ。自らが支えられていることに気づき、支えようとする側に立とうとする人が増えない限り、ネットは広がらない。草間氏の「転換」の経験はセーフティーネット再生のヒントかもしれない。=おわり

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