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2008年04月13日(日) 00時00分

豪憲君事件の動機読売新聞

計画性 否定されたが
豪憲君殺害事件の現場となった鈴香被告自宅前で、遺体の運搬を再現する捜査員(2006年7月11日撮影)

 「真実を追求したい。豪憲君を殺したのはなぜなんだ」

 畠山鈴香被告(35)の被告人質問を間近に控えた昨年10月、捜査幹部は強い口調でそう語った。

 鈴香被告が米山豪憲君(当時7歳)を殺害した動機について、幹部は公判が始まってからも、「鈴香被告がこれまで本当のことを語ったのかわからない」と苦悩していた。

 検察側は9月の初公判の冒頭陳述で動機をこう描いた。

 <鈴香被告は長女彩香ちゃん(当時9歳)を殺害した後、母親が「事件に巻き込まれたに違いない」と騒いだため、同調せざるを得なくなり、警察やマスコミに事件性を訴えた。しかし、ほとんど相手にされず、社会から不当に無視されていると思い、催涙スプレーを携えて誘拐する子供を車で捜し、子供を狙った事件を起こして社会に報復しようと、2006年5月17日に豪憲君を殺害した>

     ◎

 10月の第6回公判での被告人質問。弁護士が「子供を捜したのは(06年)5月15日か?」と尋ねると、鈴香被告は「16、17日だと思う」と答えた。「(豪憲君を殺害した)17日もそんなことをしたのか?」との質問には「そうだったと思う」と認めた。

 鈴香被告が明かしたこの新事実は、検察に“衝撃”を与えた。それまでは、誘拐するために子供を捜し回った日付がわからず、冒頭陳述では「4月下旬か5月上旬ごろから」としか書いていなかった。

 さらに、鈴香被告は被告人質問で、4月下旬には、自分が彩香さんを殺害したとのうわさを知り、そのうわさを知人や能代署員に告げたことを認めた。そして、豪憲君殺害前日の5月16日ごろに、私服警官が彩香ちゃん事件で藤里町内に宿泊しているとのうわさを聞いていたことも明らかにした。

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 検察側は、法廷で判明したこうした断片的な新事実をはめ込み、豪憲君事件の構図を練り直した。そして、公判が結審した今年1月の論告で、冒頭陳述で描いた豪憲君の殺害動機に加筆修正して、「計画性」があったことを強調し、死刑を求刑した。

 検察側は論告で、まず、鈴香被告は、彩香ちゃん殺害の疑いが自分に向けられていると知った後、子供を被害者にする事件を起こすことを考えるようになったと指摘。さらに警察が動き出したとのうわさを聞いて、その計画を実行に移したとの見方を示した。

 そして、豪憲君殺害動機は、「自分に向けられた彩香ちゃん殺害の疑いの目を他にそらすことを目的とした犯行で、豪憲君を自宅に招き入れる時点で殺害を決意していた」との結論を導いた。

 捜査幹部は「冒頭陳述では動機を詰め切れなかった。だが、彩香ちゃんの事件の捜査が自分に近づき、子供を物色した時期が豪憲君殺害の前日と当日だったと裏付けられたことで、捜査をかく乱したいという計画性を出すことができた」と話す。

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 これに対し、弁護側は最終弁論で、「検察が違う動機を持ち出したのは根拠がなく、自信がない故の変遷だ」と批判し、計画性を否定した。

 藤井俊郎裁判長は判決で、「自宅に招き入れた豪憲君を見て、彩香ちゃんはいないのに豪憲君は何でこんなに元気なのかといった切なさや嫉妬(しっと)心と、彩香ちゃんの死は(第三者による)事件であるとの自己の主張に目を向けさせる絶好の機会と考え、とっさに殺害を決意した」として、鈴香被告に無期懲役を言い渡した。

 藤井裁判長は、量刑の理由のなかで、「計画性は認められない」と検察側の主張を退けた。だが、「被告は犯行以前から子供の誘拐事件を起こすことを企てており、殺害の犯意が何の前触れもなく突発的に生じたと評することは相当ではない」とも述べ、苦渋の判断だったことをうかがわせた。

 捜査幹部は公判をこう振り返った。「鈴香被告は最後まで本当のことを言わなかった。解明できなかった謎は多い」

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080412-OYT8T00716.htm