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2008年04月12日(土) 00時00分

彩香ちゃん殺害容疑読売新聞

母の言葉で自白
彩香ちゃんが落下した大沢橋で、鈴香被告を立ち会わせて行われた現場検証(2006年8月2日撮影)

 畠山鈴香被告(35)は2006年6月4日、米山豪憲君(当時7歳)の死体遺棄容疑で逮捕されて間もなく、死体遺棄、殺害両容疑を認め、殺人容疑で再逮捕された。しかし、長女彩香ちゃん(当時9歳)の死については「思い出せない」と繰り返した。

 能代署捜査本部は、鈴香被告の関与を疑わせる目撃情報を得ていた。4月9日午後6時半ごろ、藤里町の大沢橋の欄干のそばでしゃがみ込む母子のような人影を、車で通りかかった近所の女性が見ていた。髪形と服装が鈴香被告に似ていたが、確証はなかった。否定されれば次の一手はない。状況証拠を鈴香被告に示すわけにはいかず、捜査は難航した。

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 そして最初の逮捕から1か月後、鈴香被告は彩香ちゃん殺害を自供する。能代署の取調室で何があったのか。取り調べた3人の捜査関係者の法廷証言から明らかにしたい。

 7月5日、検事が取り調べを行った。鈴香被告が「弁護士より信用している」と公判で語った検事だ。鈴香被告はすっとしたようなリラックスした表情をしていた。検事は「向き合えるかもしれない」と思った。鈴香被告は検事にこう話した。

 「彩香のことで思い当たることがあるので、明日、話す。でもそれを言うと、母の気が狂うかもしれない。母に気をしっかりと持つように伝えてほしい」

 翌6日、鈴香被告は、県警捜査1課の警部補に「女性巡査部長を取調室に入れてほしい」と頼んだ。この巡査部長は、彩香ちゃんが行方不明になったときに自宅で震える被告の手を握って、抱きしめ、豪憲君殺害を自供した際にも被告の手を握っていた。

 6日午後、巡査部長が取調室に入ると、鈴香被告は話し始めた。「彩香に何かしたかもしれない。もしそうなら豪憲君の時よりも怖い」。巡査部長は被告の手を握り、背中をさすった。「彩香ちゃんと最後に別れた所は?」と尋ねると、鈴香被告は住宅地図の大沢橋を指さした。「2人で行ったの?」と聞くと、うなずいた。だが、「帰りも2人?」との質問には首を横に振った。

 続けて鈴香被告は、「『魚が見たい』と駄々をこねる彩香を大沢橋に連れて行き、橋の欄干に乗せた後、自分の足が滑ってどこかにぶつかり、彩香を川に落とした」と説明した。

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 検事は6日、鈴香被告の母に会い、被告の伝言を伝えた。母は「鈴香は彩香と同じくらいかわいい娘で、つらいけど、鈴香を支えるために気をしっかりと持つ」と語った。

 その夜、検事は、この母の言葉を鈴香被告に伝えた。すると、鈴香被告は号泣した。鈴香被告は涙を浮かべ、彩香ちゃんを欄干に乗せたとき、「疎ましかった彩香がいなくなればいい」と殺意を抱き、手を払うようにして彩香ちゃんを落としたと供述した。彩香ちゃんは「お母さん」と言いながら橋の欄干から落下し、「その声が時々頭の中で出てきてつらかった」とも話した。

 鈴香被告はこの夜、供述調書に署名した。

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 ところが、鈴香被告は7月18日に彩香ちゃんに対する殺人容疑で再逮捕された後、供述を後退させる。

 警部補の取り調べに「殺意があったかわからない」と供述し、検事の取り調べにも「彩香を殺害したのは間違いないが、決意したかはわからない」と供述。さらに供述調書の訂正を求め、彩香ちゃんを欄干から「突き落とす」との表現は「押っつける」に、「彩香を殺してやろう」は「落としてやろうかな」に変更された。

 そして、公判では捜査段階の供述を翻し、調書に署名した理由を「検事さんが怖くて逆らえなかった」と述べた。結局、判決は、鈴香被告の自白の任意性と信用性を認め、彩香ちゃん殺害を認定した。控訴審では、どんな判断が示されるのだろうか。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080412-OYT8T00152.htm