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2008年04月11日(金) 00時00分

豪憲君の死後読売新聞

疑惑にアリバイ主張
豪憲君が行方不明になった5月17日の夜、朝日ヶ丘団地を回る県警捜査員

 いつもは暗い通学路が、いくつもの懐中電灯の光でぼんやりと照らし出されていた。

 2006年5月17日夜、藤里町の藤里小学校から朝日ヶ丘団地へ続く道で、約120人の住民や消防団員らが米山豪憲君(当時7歳)の姿を捜していた。

 「また団地で子供がいなくなった」。捜索に参加した町の消防団分団長、安部満さん(61)が自宅の電話で団員からそう聞いたのは午後6時半ごろ。畠山鈴香被告(35)の長女、彩香ちゃん(当時9歳)が4月10日に遺体で見つかってからわずか1か月余りだった。

 午後7時50分ごろ、町役場近くで安部さんが消防団員らと捜索会議を始めようとしたとき、能代署員が来て、「これは事件ですから捜索はしないで下さい」と告げた。

 安部さんは「子供がいなくなったのに捜さないわけにはいかない」と反論した。捜索は午後10時ごろまで続き、安部さんの携帯電話はひっきりなしに鳴った。

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 その夜、鈴香被告は朝日ヶ丘団地の豪憲君の家から2軒隣りの自宅前に、母と車に乗って現れた。普段は鈴香被告が車を運転していたが、母がハンドルを握っていた。

 豪憲君の父勝弘さん(41)は、誘拐に備えて電話を逆探知するため、県警の捜査員と自宅で待機していた。午後9時すぎ、勝弘さんは表に出て住民に感謝の言葉を伝えた。

 その時、鈴香被告の母が20〜30人の住民らの前で、突然大声で、「皆さん、彩香の時のようにならないよう、みんなで捜しましょう」と言った。

 近所の女性は、母の肩に手を置き、「大丈夫ですか」と声をかけた。母は女性の両肩をつかみ、泣き崩れた。すると、鈴香被告は母親にこう言った。「母さんまで何やってんの。うちさ入ってれ」

 鈴香被告は、付き合いがなかった団地の小学生の母親たちの輪に突然近づくと、こうも話しかけたという。「私は家の中にずっといた」。母親の一人は「変な人だな」と感じた。

 午後10時すぎ、安部さんは翌朝からの捜索の打ち合わせに豪憲君の家の近くに行った。そのとき、明かりがともる鈴香被告の家の一室で、5〜6人の警察官が話し合っているのが見えた。署員が口にした「事件」に、鈴香被告がかかわっているのかと思った。

 翌18日、能代市の米代川沿いの草地で豪憲君の遺体が見つかった。

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 5月27日、能代市の鈴香被告の実家で、彩香ちゃんの四十九日の法要が行われた。家の周りには、疑惑の目を向ける大勢の報道陣が張り込んでいた。法要の後、鈴香被告は、報道陣のうち約20人を実家の居間に招き入れ、“記者会見”を開いた。1時間近くに及んだ会見で、時折、涙ぐむ様子を見せた鈴香被告は「どうして豪憲君の事件で疑いをかけられるのか分からない」と語った。そして、豪憲君が行方不明になった5月17日に自宅のある団地にいたのかと問われ、こう答えた。「(午後)4時ぐらいまで。2時ぐらいから一人で」

 メディアスクラムの状況を伝え聞いた県内の人権擁護団体の関係者が6月2日、鈴香被告の実家を訪れた。鈴香被告はげっそりとやつれたように見えた。母は「家の外に出るとマスコミに囲まれてしまう。バイト先にも顔を出させない」と切々と訴えた。だが、鈴香被告は口を閉じたままだった。関係者は「本人が潔白を主張しないのが不思議だった。母は娘をかばっているのが印象的だった」と話す。

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 6月4日早朝、鈴香被告は県警の捜査車両に先導され、車で能代署に向かい、午後11時9分、豪憲君に対する死体遺棄容疑で逮捕された。

 判決は、鈴香被告が自宅で豪憲君を殺害した時刻は5月17日の午後3時30分ごろ、遺体を車で運び米代川沿いに遺棄した時刻は午後4時5分ごろと断定した。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080410-OYT8T00890.htm