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2008年04月10日(木) 00時00分

彩香ちゃんの死後読売新聞

不可解な言動続く

 2年前の2006年4月9日、彩香ちゃん(当時9歳)は最愛の母、畠山鈴香被告(35)の左手で払われ、藤里町の大沢橋の欄干から落下し、冷たい藤琴川の中に沈んだ。それ以降、鈴香被告は不可解な言動を繰り返す。関係者の公判での証言や取材をもとに、転落後、被告がとった振る舞いをたどってみたい。

 彩香ちゃんが転落したのは9日午後6時45分ごろ。鈴香被告は救助をせず、町内の朝日ヶ丘団地の自宅に戻った。午後6時57分、能代市の実家に電話し、「彩香が午後4時過ぎに遊びに出かけたまま戻らない」と伝えた。その後、近隣住民や友人宅を訪れ、彩香ちゃんの行方を尋ねた。

 鈴香被告から連絡を受けた藤里小学校は、午後7時45分ごろ、110番通報し、消防団や学校関係者ら約90人が捜索を始めた。

 午後8時ごろ、鈴香被告は彩香ちゃんの担任教諭に電話し、「彩香は何も話さず出かけた」と話した。しかし、その後、自宅を訪ねた能代署員には「ピカチュウを見せに友人宅に行ってくると言っていた」と食い違う説明をした。

 翌10日。役場や藤里小から連絡を受けて地元住民たちは早朝から捜索を再開。だが、鈴香被告は姿を現さなかった。消防団員らが自宅のインターホンを鳴らし、ドアをたたいて鈴香被告を起こした。

 午後1時35分ごろ、県の防災ヘリコプターが大沢橋から5キロ下流の浅瀬で、彩香ちゃんの遺体を見つけた。県警は、鈴香被告が「彩香は河原で石を集めるのが好きだった」と話したことなどから、「彩香ちゃんは団地近くの河原から誤って川に落ちた事故死の可能性が高い」と発表した。

 ところが、鈴香被告は“事件性”を訴え始める。

 能代市の実家で彩香ちゃんの葬儀が行われた12日、鈴香被告は知人に、「ネットで私疑われているんだって?」と話しかけた。知人は「すごく冷静で、何でそんなことを考える余裕があるんだろうと不思議に思った」と振り返る。

 鈴香被告の母は外傷の少ない彩香ちゃんを見て、「彩香は川に行くような子ではない。事件に巻き込まれたに違いない」と騒ぎ、鈴香被告は、県警が事故の現場と発表した河原近くの商店主に「彩香はあんな所から落ちるはずがない」と訴えた。そして、彩香ちゃんの情報提供を求めるチラシを町内に配り始める。

 5月3日、鈴香被告は能代署で女性署員にこう訴えた。「チラシを配ったのに、情報が1件もこないのはおかしい」。さらに彩香ちゃんの解剖結果の開示を求め、断られると、大声を出して署の壁をけった。5月11日には行きつけの美容室で、従業員に「警察はおかしい」と大声で言った。

     ◎

 5月14日朝、学校行事にほとんど顔を出さなかった鈴香被告は知人に電話をかけ、「彩香に見せたいから写真をもっていこうと思う」と告げ、雨のため町の体育館で行われた藤里小の運動会に出かけた。彩香ちゃんの遺影を来賓席の机に立てかけ、子供たちを見つめた。当時の心境を鈴香被告は公判でこう述べた。「本当なら彩香がここにいたはずなのに、何でいないのか」

 鈴香被告はなぜ、彩香ちゃんを捜し回り、事件性を訴える行動に出たのか。

 判決は、「彩香ちゃんを橋から払い落とした後悔と恐怖の念に駆られ、自分がやったことを信じたくないという思いにとらわれた。半狂乱状態になった母の姿を見て(転落時の)記憶の抑圧を深め、(第三者が起こした)事件であると思い込むようになった」とし、「チラシを配ったが芳しい反応はなく、何事も思い通りにならないことにいらだちを募らせた」と結論付けた。

 そして5月17日、今度は近所の小学1年米山豪憲君の行方がわからなくなる。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080409-OYT8T00963.htm