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2008年04月03日(木) 00時00分

豪憲君読売新聞

あふれる笑顔今も心に

 畠山鈴香被告(35)は2006年5月17日、小学1年の米山豪憲君(当時7歳)を自宅玄関で殺害し、遺体を能代市内の米代川沿いの草地に遺棄した。鈴香被告は公判で、その事実を認め、判決でも認定された。

 豪憲君の父、勝弘さん(41)の左のほおには、縦に数センチほどの傷跡が、うっすらと残っている。この傷は、勝弘さんにとって、豪憲君が残してくれた形見の一つだ。

 もう理由は覚えていないが、まだ幼稚園児だった豪憲君を、勝弘さんが注意したとき、激しく暴れて「抵抗」したことがある。勝弘さんが慌てて抑えつけようとすると、豪憲君の手が顔に伸びてきて、チクッと痛みが走った。ほおから血が流れ、腫れ上がった。豪憲君のツメが偶然、刺さってしまい、できた傷だった。

 幼稚園の父親参観などで、周囲の保護者から不思議そうな表情で見られたこともあった。しかし、最近、傷跡が薄れてきていることに気づいた。勝弘さんは「事件の発生から歳月が流れてしまったことを感じます」と話す。

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 勝弘さんは、小学生の長男が妻の真智子さん(41)に似ていて、二男の豪憲君は自分そっくりだと思っていた。陽気で明るいが、負けん気は強い。特に怒ると強情になる——。自分をそんな風にとらえている勝弘さんは、豪憲君を「外見も性格もうり二つだ」と思うことが多かった。

 豪憲君は何より、笑顔にあふれた子供だった。生後100日目に、写真館で記念撮影したとき、髪も生えそろわない、ハイハイもできない豪憲君はカメラを向けられると、たちまち笑顔を見せた。

 公判では、藤里町内の親子マラソンに2人で参加したときのことが紹介された。豪憲君が幼稚園の年中のときは2位になった。でも、豪憲君は「1位じゃなきゃ」と納得せず、勝弘さんと練習を続け、翌年に雪辱を果たした。

 勝弘さんは若いころ、スキーに熱中したこともあり、豪憲君も幼稚園に入園したころにはボーゲンをマスター。近くのスキー場では頂上から滑り降りることができた。

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 豪憲君があぜ道で、トンボを捕っていた姿も、勝弘さんにとっては、忘れられない光景だ。

 06年の秋、豪憲君が通った藤里小学校の教室に授業中、開け放った窓から大きなオニヤンマが入ってきた。児童たちは「豪憲君が勉強しに来たんだ」と声をそろえた。

 そのエピソードを教師から聞いた勝弘さんは、かつての同級生から自然と息子の名前が出たことがとてもうれしかった。「事件後も、ちゃんと豪憲のことを覚えてくれている。豪憲はクラスに溶けこんでいたんだ」。そう思った。そして、同級生たちに感謝の気持ちでいっぱいになった。

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 勝弘さんは、「自分のことは自分で決める」タイプの豪憲君が成長しても、きっと安心してほったらかしにしていただろうな、と思う。親としては安定した職業に就いてくれるとホッとするが、自分の力を信じて起業するのも頼もしい。その姿は、もう絶対に見ることができない。でも、息子の将来を想像してしまうことがある。

 事件から2年近くになる今も、地域の小学生は集団で登校し、保護者らの付き添いで下校する日々が続いている。勝弘さんはそれを「子供の特権が失われた状態」と感じている。自由に寄り道できるような、伸び伸びとした環境もまた、子供の成長には必要なはずだ。そう考える勝弘さんは言う。

 「この事件は、僕の子供だけでなく、地域の子供たちが成長する機会を、ある意味で奪ってしまっている。言葉にならないぐらいの憤りを感じることがあります」

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080403-OYT8T00001.htm