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2008年04月02日(水) 00時00分

彩香ちゃん読売新聞

母の愛求め続ける
笑顔を見せる彩香ちゃん。遺族や近隣住民には「優しく、しっかりした」印象が残っている

 畠山鈴香被告(35)の長女彩香ちゃんは2006年4月9日に藤里町の大沢橋の欄干から転落し、わずか9年の人生を突然、絶たれた。その日から間もなく2年になる。遺族や近隣住民、知人らの心の中には、けなげに生きていた彩香ちゃんの姿が深く刻まれている。

 「彩香ちゃんは本当にしっかりしていて、子供を預けてもちゃんと面倒を見てくれた」。鈴香被告の知人はそう振り返る。知人は娘と、保育園児だった彩香ちゃん、鈴香被告の4人で北秋田市内の道の駅で食事した。彩香ちゃんは、2歳年下の娘がご飯をこぼす様子を見て、「そんな食べ方では駄目だよ」と言って、自ら手本を見せてくれた。

 藤里町立藤里小学校に入ってから、彩香ちゃんは友達とけんかをして泣くことがあった。でも、周囲に泣いている子がいると、すぐに駆けつけて、「どうして泣いているの?」と慰めた。同級生だった女児は、そんな優しい彩香ちゃんの姿を見たことがある。

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 彩香ちゃんが鈴香被告と暮らした朝日ヶ丘団地の近隣住民は、寂しげな彩香ちゃんの様子も目にした。

 団地近くで商店を営む女性(51)は、たった1枚の10円玉を握りしめて、陳列されたお菓子を選ぶ彩香ちゃんの姿が忘れられない。

 この女性は「10円では何も買えないとわかっていたでしょう。居場所が無かったのか、話をしたいようで『もう少し、いさせて』という感じが伝わってきた」と話した。

 団地に住む女性は、公判でこう証言した。彩香ちゃんは外で雪遊びをして家に帰り、濡れたジャンパーを自分で干してストーブに火をつけた。女性の娘が「どうして自分でやっているの?」と聞くと、彩香ちゃんは「お母さんはやってくれない」とつぶやいたという。

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 それでも、彩香ちゃんは母親を求めていた。

 ある親類は、鈴香被告から頼まれて彩香ちゃんを預かったことがある。彩香ちゃんは最初はおとなしく遊んでいたが、1時間もすると玄関から飛び出して行った。家の前の道路で、迎えに戻る母親の姿を見ようと、遠くを見つめ、じっと待っていた。鈴香被告の車が目に入ると、駆けだしていくこともあったという。「彩香は母親を慕っていた」。親類はそう思う。

 彩香ちゃんが小学3年生のとき、小学校のシーソーに悪口を落書きされたことが公判で明らかになった。親類によると、鈴香被告は、彩香ちゃんが学校でいじめられていると思い、「本当か」と聞くと、彩香ちゃんは否定した。親類は「親を心配させないように答えたのかな。親思いの子だった」と話した。

 お小遣いをあげようとすると、彩香ちゃんは「お金をもらいにきたんじゃないよ」ときっぱりと断った。亡くなる前日の06年4月8日にも、鈴香被告に連れられて遊びに来た。ままごとをして遊んでいた彩香ちゃんは、歓喜の声をあげた。「50円玉見つけたよ!」。正月すぎに屋外でなくしてからずっと探していた50円玉だった。親類は「最後に見つけさせてくれたのかな」と感じたという。

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 彩香ちゃんの遺骨は、能代市内の寺に納められている。

 彩香ちゃんについて、鈴香被告の母は公判で、涙ながらにこう語った。「大事な、大事な娘だった。朝晩、彩香の大好きだったものを作ったとき、肉だろうと魚だろうと、お供えして『彩香食べな』と話しています」

 判決は「母親に愛されようとけなげに振る舞っていた彩香ちゃんの、慕っていた母親に裏切られたという衝撃や絶望感の深さを考えると、ただ哀れというほかない」と厳しく断罪し、鈴香被告が彩香ちゃんを殺害したと認定した。

 秋田拘置所内で、彩香ちゃんの写真を飾り、花や菓子を供え、「お母さん、ばかでごめんね」と拝んでいることを法廷で明かした鈴香被告。彩香ちゃんに投げかけた言葉は、本心だったのだろうか。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080401-OYT8T00895.htm