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2008年03月24日(月) 00時00分

鈴香被告の育児読売新聞

放棄の入り口に
自転車に乗り、ポーズを取る彩香ちゃん。朝日ヶ丘団地では近隣の子供たちと楽しそうに遊ぶ彩香ちゃんの姿も見られた

 2年前の冬、外に出られないような吹雪の日だった。畠山鈴香被告(35)が住んでいた藤里町の朝日ヶ丘団地の自宅前。彩香ちゃん(当時9歳)が鈴香被告の車ともう1台の車の間で、一人寒そうに、下を向いて立っていた。

 隣人の女性が、彩香ちゃんに「おうちに入れ」と声をかけると、「いいの。彩香、外で遊びたいからいいの」とうつむいて寂しそうな表情で答えた。

 女性は、昨年9月21日の第2回公判に出廷し、交際相手の男性が車で来るたび、家の外にいる彩香ちゃんの姿を何度も目にしたと証言し、「親をかばって、かわいそうで、いい子だと思いました」と話した。

 さらに女性は、「起こすなって言ったべ」とどなり声を上げる鈴香被告の声と、「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら謝る彩香ちゃんの声を何度も聞いたことも明らかにした。

 団地近くに住む男性は、朝、泣きながら学校へ一人で急ぐ彩香ちゃんを度々目撃した。ある朝、「どうしたの」と声をかけると、彩香ちゃんは「お母さんが寝坊した」と言い、「ご飯は食べたの」と聞くと、「食べてない」と答え、泣き続けた。男性は学校から帰宅した彩香ちゃんが自宅玄関前のコンクリートの上に座って、教科書を読んでいる姿も数回見たという。

 この日、証言台に立った近隣の住民たちは、彩香ちゃんについて、「服装がいつも一緒で汚い」「髪を洗っていない」「男性が自宅を訪れた時は、外で一人でいた」と鈴香被告の育児放棄ぶりを証言した。

     ◎

 しかし、9月21日の証人尋問で、彩香ちゃんが通った藤里小学校の担任教諭は鈴香被告の意外な一面を証言した。家庭とやり取りする連絡帳で鈴香被告は「(彩香ちゃんが)いろいろなことに興味を持って、集中力がついてきて成長できたと思う」と書き、教諭は「成長が見られたらほめてあげて下さい」と助言した。教諭は「親子のコミュニケーションを取ろうと努力していると感じた」と述べた。

 鈴香被告は、彩香ちゃんがぐずったときに、母親に「どうすればいいのか」と聞いたり、東京にいる友人に「彩香がなかなか発音ができないので、人より遅れているのではないか」「何時に寝かせたらいいの?」と悩みを打ち明けたりしていたことも公判で明らかになっている。

 鈴香被告の知人によると、鈴香被告は知人に「彩香が熱を出した。座薬ある?」と連絡し、知人宅に取りに来たこともあったという。

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 鈴香被告は、彩香ちゃんが1歳になる前に離婚してからは、自宅から約15キロ離れた能代市の実家で食事をするようになった。鈴香被告の母は法廷で、彩香ちゃんはお米が好きで、子供用の茶わんで2杯食べ、被告が作る真っ黒な卵焼きも好きだったと述べた。さらに、「母子家庭のことをばかにされないように、あいさつとか、食事のマナーとか、結構気を付けていました」とも語った。

 鈴香被告は、公判中につけていた日記に、実家で弟らと彩香ちゃんをしつけていたと書いている。

 〈だいたいのしつけは食事のマナー時が多かったと思います〉〈ひじをつかない、食べ物で遊ばない。テレビばかり見て横を向いて食べない。はしを振り回さない。はしで皿をひっぱらない〉(9月28日)

 〈私に似たのか彩香も相当片づけができませんでした。足の踏み場もないくらいで布団は敷きっぱなし。ゴミかおもちゃか分からない小さな物から、本や脱いだ服、ぬいぐるみなど、所せましと転がっていて、うかつに入ると大きめのビーズや拾ってきた石ころが足の裏に刺さるという感じだったので、数か月おきに強制的に2人で片づけていました〉(9月30日)

 鈴香被告は2006年12月11日、殺害した米山豪憲君(当時7歳)の遺族にあてた手紙にこうつづった。

 〈一度だけ彩香を抱いて米山さん宅を訪ねましたが、当時の私の周りに同じ年ごろの子供がいる友だちがいなく、他の人はどういうふうに子供を育てているのか知りたかったのです〉

 判決は、鈴香被告の彩香ちゃんへの育児について、「全体として配慮に欠ける点が多い」と批判しながら、「常時ではないものの、彩香ちゃんに関心を持ち、それなりに養育に努めようとする姿勢も見せていた。苛烈(かれつ)な日常的虐待の末の犯行ととらえるのは相当ではない」と述べている。

 新潟青陵大の碓井真史教授(心理学)は「日常的な子育てができない親だが、あくまでもネグレクトの入り口で踏みとどまっている」と分析する。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080323-OYT8T00588.htm