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2008年03月23日(日) 00時00分

鈴香被告の母性読売新聞

鈴香被告の横で、満面の笑顔でピースサインをする彩香ちゃん。彩香ちゃんには、どんな母親として映っていたのだろうか

 畠山鈴香被告(35)は、長女彩香ちゃん(当時9歳)にとって、どんな母親だったのだろうか。

 鈴香被告は、公判が続いていた昨年9〜11月、32日分の日記をつけた。このうち、彩香ちゃんについて書いたのは14日分と半分近く、日記に登場する人の中で最も多くの分量を割いている。9月29日の日記では、こう振り返った。

 〈私が夕食の支度で台所に立って、母とあれこれ話していると彩香が来て、「ねぇお母さん聞いて」「ばぁば聞いて」と話しかけてくるのです。父と話しているときも「ねぇじじ聞いて」と間に入ってくるのです。どうも私を取られるとか、自分が仲間はずれにされていると思ったようです〉

 〈彩香は、まだサンタクロースを信じていて、亡くなった後、部屋の片づけをしていたらサンタクロースあてに手紙が出てきました。「サンタさん、まい年プレゼントありがとう。こんどのクリスマスもよろしくね」とあり、涙が出ました〉

 鈴香被告は、翌日の日記に、彩香ちゃんが小学1年か2年の夏、七夕の日にササ飾りにちょうちんを付けて町内を歩く行事に参加したときのことを書いた。鈴香被告は体調が悪く、参加しなかったが、彩香ちゃんが終点の公民館に着くともらえるアイスを、鈴香被告の分も合わせて2個もらってきたのをうれしく思い、「気持ちだけもらう」と言って2個食べさせたという。その続きをこう記している。

 〈彩香の部屋からしくしく泣き声が聞こえます。何事かと思って部屋に行くと、散らかった部屋の布団の上に座り、タオルケットにくるまって泣いていました。「どうしたの?」と聞くと、「アリさんが……」と泣くのです。お菓子の食べかすでもあったのでしょう。いくらタオルケットにくるまっても、アイスの甘いにおいをさせた彩香にアリが群がったのでした。

 私はおかしくなって笑いながら、居間で寝るかと聞くと「うん」とうなずきます〉

 〈私がふざけて「虫、虫、虫、虫、何の虫?」と歌うと、彩香が「泣き虫」「こんつけ虫」などと答えるのですが、私が「アリー」と言うと「お母さんのいじわるぅー」と泣いたものでした。今でも楽しい思い出です〉

     ◎

 鈴香被告は、9月24日の日記に、彩香ちゃんが藤里町立藤里小学校の3年生だったとき、校内のシーソーに「クソ」「バカ」「死ね」「畠山」と落書きされたことがあったと記している。鈴香被告は彩香ちゃんに「学校で何かあった?」と聞くと、彩香ちゃんは「別に何もない。○○ちゃんと遊んだ」と答えたという。

 その3日前に開かれた第2回公判に出廷した彩香ちゃんを担任していた教諭は、落書きの存在を認めた。しかし、「子供同士のトラブルはよくあり、ささいなことでけんかになる。彩香ちゃんは、友だちと仲良くやっていた」と述べ、いじめを否定した。

 これに対し、鈴香被告は24日の日記で反論している。

 <私にしたら立派な「いじめ」です。2回目の公判で先生はいじめなんてなかったと……。私は悔しかった。あんなにキツイ事を書かれても「いじめ」を認めてもらえないなんてと……。私は電話と連絡帳で抗議しました。これからもこのようなことが続いたら、直接行って生徒に対し怒り、犯人探しもすると電話で話しました。大人げないとは思いましたが、私なりに彩香の受けた仕打ちに比べたらと思いました>

 <亡くなったからどうでもいいでは、やっぱり悔しいです>

     ◎

 そんな「母心」を見せた鈴香被告は、10月8日の日記に後悔の念をつづった。

 〈彩香は私といて幸せだったのでしょうか? 私はもっと彩香にしてやれることがあったと後悔しています。体調が悪くても時間をかければ食事でも、もっと手の込んだものを作ってあげられたかもしれない〉

 〈気に入ったものは洗濯がまだでも着ていた彩香。首回りがよれよれの服はお気に入りでも捨ててしまえば良かった。もっと一緒に遊んであげれば良かった〉

 〈後悔ばかりしていても仕方ないのに、後悔ばかりしてしまう。私なりにやったつもりだけど、もっとできたはずではないか? 考えてしまう〉

 娘への「母性」を日記につづった鈴香被告。だが、判決は、彩香ちゃん殺害を認め、「母の愛情を欠くような態度をしばしば取った」と指摘した。そして付近住民は鈴香被告のそうした姿を目にしていた。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1206076020175_02/news/20080322-OYT8T00813.htm