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2008年03月17日(月) 01時35分

開戦5年 いまイラクの地は朝日新聞

 開戦動機となった大量破壊兵器は発見されず、大義なき戦いとも言われるイラク戦争は、20日で開始から5年になる。この戦争は、かつて旧フセイン政権が支配したイラクに、開戦に踏み切った米国に、復興支援で自衛隊を送った日本に何をもたらし、どんな課題をつきつけているのか。

夫をテロで失ったデジラ・ハミドさん。4人の子どもが残った。唯一の形見である写真のほかに壁に飾るものは何もない=バグダッドで、アクラム・サレフ氏撮影

腹ばいになって射撃訓練するイラク警察官を、教官役の米海兵隊員が身ぶり手ぶりを交えながら指導した=15日、キャンプ・ハバニヤで

  

 今も自爆テロが絶えない首都バグダッド。米軍に最も多くの死者が出たアンバル州。自衛隊が06年夏まで復興支援活動を展開したサマワ——。開戦5年を機に、朝日新聞記者がそれぞれの地を踏んだ。バグダッドに本社記者が入るのは3年半ぶり。サマワは1年半ぶりとなる。アンバル州へは米軍に同行した。(サマワのルポは後日掲載します)

 ■夫なくした妻、「人殺す自由しかない」

 雨が降らないよう祈っていた。

 夏は気温が50度を超すバグダッドも、冬は10度を切る。デジラ・ハミドさん(41)の日干しれんが造りの共同住宅は、床が道路より低い。壁から雨水が染みこみ、床のじゅうたんがぬれる。トイレとシャワーは共有。8畳ほどの部屋で3〜13歳の子ども4人と寝起きする。雨の夜は震えながら一晩じゅう立ったまま過ごさなくてはならない。

 旧フセイン政権から反体制派とされた貧しいシーア派の地域で育った。でも06年11月までは、ましな暮らしだった。夫が乗ったミニバスが爆弾で吹き飛ばされるまでは。

 お茶を売って月10万ディナール(約8000円)稼いでいた夫を失い、2部屋の家から引っ越した。政府から特別な援助はない。小麦などの配給はあるが、旧政権時代に比べて量も種類も減った。

 電気は1日2時間しか来ない。天井の裸電球と冷蔵庫、テレビを使うため、地区の共用発電機から2万ディナールで買う。イラン・イラク戦争で負傷した夫の年金15万ディナールは引き続き遺族としてもらえるが、そのほかは近所の人が喜捨としてくれる5万ディナールだけが頼りだ。

 「旧政権に戻りたいとは言わない。でも今のほうが生活は厳しい。何の夢も持てない」

 スンニ派のウンム・アリーさん(32)が爆発音を聞いたのは05年3月だった。台所から道路に飛び出すと、車を洗っていた夫が倒れていた。頭を銃弾が貫いていた。米軍の車列が通った時に仕掛け爆弾が爆発。米兵が辺り構わず発砲したのだ。

 夫は旧政権が倒れた後も変わらず警察官を続けていた。3年前に結婚。3人の子どもも生まれ、いつか自分らの家を持ちたいと夢を語っていた。

 夫を失い、収入60万ディナールも消えた。米軍からは何の補償もない。以前の半分ほどの広さの家に移った。自宅でパンを焼いて売ったり、古着を集めて仕立て直したりして生活費を稼ぐ。

 新たに住んだのはスンニ派とシーア派が混在する地域だった。06年から宗派対立が激しくなった。戦闘が始まると、家の中で道路から一番遠い隅に子どもとうずくまった。シーア派民兵が入ってくるのを恐れて、玄関のドアに三つ、寝室のドアに三つ鍵をつけた。

 買い物も命がけだ。銃撃音がやみ、スンニ派民兵から指示があるまで外には出られない。

 開戦から5年のひずみが、女性たちにのしかかっている。生き延びるのに必死の毎日。「米国はイラクを自由にするといった。今あるのは人を殺す自由だけ」

 発砲音を聞くと、あの時の夫の姿が浮かぶという。米軍の車列を見たとき、どう感じるのか。

 「自爆ベルトを巻いて飛び込む。仕返しのために。子どもさえいなければ今すぐやっている」

 ■社会崩壊、女性の自爆急増

 イラクでは女性の自爆テロが急増している。

 公式の統計はないが、05年3月以降の地元報道を追うと、07年10月までの2年半で7件。それが07年11月27日以降の4カ月足らずで9件に上る。

 これまで自爆犯は外国人が多かった。周辺国が昨年以降、国境管理を強化し、イスラム過激派が国外から自爆犯を入れにくくなった側面もある。女性の場合、服の下に爆発物を隠しやすく、宗教上の理由から男性兵士が徹底した検査を行いにくい背景も指摘される。

 ただ、バグダッド大のファウジア・アッティア教授(社会学)は、社会の崩壊が進み、絶望した女性が増加したことが大きいと分析する。

 内戦状態で稼ぎ手の男性が殺され、家庭が崩壊する。40%ともいわれる失業率のなか、女性が職に就くのは難しい。知識人や医者が殺されたり国外に逃れたりして教育・医療も機能しない——。

 「この世に望みを失った女性たちは、『明るい来世』を約束されれば応じてしまう」

 世界保健機関(WHO)は、イラク民間人の死者数を15万人超と推定している。直近5年間の男性の死亡率は千人あたり2.7と推計、女性の0.96の約3倍だ。その前の5年間は男性1.2、女性0.82だったため、男性の増加が際立つ。国連は、この5年で7万人の女性が夫を失ったとみている。

 米国の女性団体が今月発表した調査では、昨年秋に聞き取りしたイラク女性約1500人のうち、将来を楽観していると答えたのは約27%。04年の調査で約9割が楽観的だったのと対照的だ。 国際移住機関によると、住む家を開戦後に失ったのは約128万人。以前からの避難民と合わせて約250万人。人口の1割近い。イラク保健省のまとめでは、昨年末までに医師132人を含む医療関係者618人が殺された。国外に逃れた医療関係者は数千人に上るといわれる。

 人権問題に取り組むNGO「イラク希望協会」のハナ・エドワル事務局長は、イラク政府にも責任があると言う。「政治家が国家ではなく、自分の属する民族・宗派の利益しか考えず、省庁は利権の奪い合いの場となった。そのためすべての公共サービスが旧政権時代より悪化した」と。

 「イラクの民主化」を掲げて始まった戦争。「最初は希望があった。この5年で闇に置き換わってしまった」

 ■米軍・イラク軍、激戦一転共同で訓練

 バグダッドの西方約70キロ。砂漠の砂嵐が静まるのを待ち、米軍のCH46ヘリの深夜便でユーフラテス川沿いにあるキャンプ・ハバニヤに入った。最前線のイラク派遣はすでに4度目という米兵もいた。多くの友を戦場で亡くし、家庭も犠牲を強いられる。それでも、「自由で平和なイラク」という大義のために働くことへの誇りが、米兵たちを動かしていた。

 同キャンプでは15日、新生イラク国軍や警察官への教練課程が続いていた。国軍の制式銃を、AK47カラシニコフから米国製M16ライフルに換える習熟訓練などだ。

 かつて植民地時代の英軍ホテルだった将校用営舎に、米海兵隊とイラク陸軍が同居している。文字通り「同じ釜の飯を食う」間柄だ。

 03年3月20日。米海兵隊のジャック・ブルッキンス3等軍曹(24)は第2連隊第1大隊に所属する通信兵の兵長として、クウェートからイラク領内に入った第1陣のただ中にいた。「誰もが殺し合いに加わっているような、すさまじい時だった」と振り返る。

 あれから5年。今はキャンプ・ハバニヤで、イラク軍訓練チームとしての任務に就いている。「自分の環境も、イラクの現状も、5年前には想像してなかった」

 04年3月からの2度目の派遣では、首都周辺に駐屯。同年11月、アンバル州ファルージャに立てこもった反米勢力との攻防にも、志願して増強部隊として加わった。

 05年6月〜06年初めには、アンバル州ヒットに駐留した。そして、昨年10月からハバニヤでの任務。「この目で見る限り、事態は確実に良くなっている」と言った。

 米本土に残してきた妻とは離婚した。その経緯は語らないが、任務を終えて帰国し、2歳の息子を引き取ることになっており、楽しみだという。

 だが一方で、懸念を隠せない様子で語った。「我々がイラクから拙速に引き揚げれば、すべてがきっと台無しになる」

 ブルッキンス3等軍曹はこの間、多くの戦友を失った。悔やむ思いがないわけではない。それでもなお、「大義を信じる思い」の方が強い、と言い切った。

 イラク陸軍への訓練自体は04年に始まったが、内容も変わりつつある。責任者のスチュワート・ホワイト上級准尉(45)は「当時の我々の任務は、(敵への)殺傷や破壊に比重があった」と振り返る。自身はその秋、アンバル州ファルージャの最前線にいた。同じ大隊の19人が戦死した。

 アンバル州はスンニ派反米勢力の拠点地域として、多くの米兵の血が流されてきた土地だ。インターネットサイト「Iカジュアリティーズ」の10日段階でのまとめでは、同州での5年間の米兵死者累計は1279人と、バグダッドの1218人を上回る。06年には、「もはや米国はアンバルを失った」という見方すら定着していた。

 ところが、今年に入ってからの同州での米兵死者は3人と激減した。

 地元のスンニ派部族長らが昨年、自爆テロを強要するような国際テロ組織アルカイダ系への不満を爆発させ、反旗を翻したのが転機だった。

 ホワイト上級准尉も、亡くした僚友たちのことになると、目をしばたかせた。「毎日深く考えはしないようにしている。決して忘れることはないが、前にも進んでいかなければいけない」

 訓練しているイラク軍人や警察官の中に、かつての「敵」が含まれていることは「十分考えられる」という。しかし、こうも話す。

 「銃を一発も撃たずに任務を終える日々が続くというのは、やはりいいことなんだ」

 現場の情勢を踏まえずにイラクを放棄すれば、「後で払う人命の代価は大きい」と眉をひそめた。米本土での撤退論と、現場の兵士たちの思い。その間にはずれがあるように見える。 アサヒ・コムトップへ

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