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2008年03月10日(月) 00時02分

「聾学校、改称しないで」元生徒ら異議 割れる教委判断朝日新聞

 聾(ろう)学校という名を残して——。こう訴える静岡県の聾者の男性からの投書が本紙「声」欄に載った。静岡県教委が「聾学校」を「聴覚特別支援学校」と改名することへの異議だった。学校教育法の改正を受けた措置だが、全日本聾唖(ろうあ)連盟は改名に反対。全国の都道府県教委の判断は割れている。

聾学校の校名存続を訴え、署名活動する山本直樹さん=静岡市葵区で

 静岡県では、校名変更に県聴覚障害者協会が反対してきた。県教委は変更の理由を説明したが、話し合いは平行線に。県教委は2月県議会に校名変更の条例案を提出。今月19日に可決される見通しだ。

 納得できない思いから投書したのは静岡市の会社員山本直樹さん(35)。1歳の頃、高熱で聴力を失った。小中学校は普通校に通い、友人や先生とは筆談や読唇で対話した。移動する教室が変更になったのを知らず、無人の教室で待っていたり、先生の冗談にクラスがわいても自分だけキョトンとしていたり。周りと意思疎通が十分にできず孤独を感じた。

 高校は筑波大付属聾学校に進学。手話が授業でも使われたので内容がよく分かり、勉強が楽しくなった。同級生と笑ったり怒ったりもできた。

 同校は校名を筑波大付属聴覚特別支援学校に変更している。山本さんは「静岡は二の舞いにならないようにしたい」と願う。

 静岡県教委はなぜ変えるのか。特別支援教育課の名倉慎一郎課長は「一般に『聾』という字には差別的なニュアンスがあり、『聴覚障害』と言い換えが進んでいる」と説明する。

 だが、山本さんは「聞こえなくてもありのままの自分で生きる。そんな私たちの誇りが『聾』という言葉にこもっている」と話す。「特別支援」という言葉は、聾者を支援される低い側に位置づけてしまうと訴える。

 校名変更のきっかけは昨年4月の改正学校教育法の施行だ。学校の法律上の種別が変わり、聾学校、盲学校、養護学校は「特別支援学校」と一つにくくられた。複数の障害がある「重複障害」の子どもに対応しやすくすることなどが狙いだ。

 ただ、文部科学省は都道府県教委あてに、聾学校という名称を用いてもよい、とする通知を出している。聾学校は全国に約100校あるが、文科省の調べでは、昨春時点で校名を変更したところは兵庫や広島などにある9校にとどまった。

 全日本聾唖連盟の調べでは、校名を変えない方針を打ち出している教委は東京、山梨、群馬、愛知など。変更しない理由について山梨県教委は「聾文化を尊重して欲しいとの思いを受け止めた」。群馬県教委は「聾教育の専門性を重視した」と説明する。

 聾学校の授業などの対話手段の中心は読唇などによる「口話法」だった。手話は禁止された時代もあったが、生徒同士の対話手段として生き続けてきた。連盟など聾者側が改名に反対する背景には、手話を学ぶ場である聾教育の専門性が揺らぐことへの不安がある。

 95年には論文「ろう文化宣言」が発表され、議論を呼んだ。音声日本語から独立した固有の文法を持つ「日本手話」を一言語とし、日本手話を使う聾者の位置づけを「障害者」から「言語的少数者」へと転換した。

 論文を書いた聾者でNHK手話ニュース・キャスターの木村晴美さん(42)は「聾学校は聾社会の基盤で心のよりどころ。日本語の名が変わっても、私たちは手話で『聾学校』と呼び続けるだろう」と話す。

     ◇

 2月27日付「声」欄に載った投書(抜粋)

 「聾(ろう)学校」という名称を「聴覚特別支援学校」に変更すると昨年末、静岡県教委から通知があった。聾唖(ろうあ)団体は反対し、話し合いを重ねた。

 県議会に提案するため、ギリギリになって通知があり、話し合いは打ち切られた。

 私たち聾唖者は「聾」であることに誇りを持ち、「聾学校」は100年もの歴史を重ねてきた。なぜ、県教委は「聴覚特別支援学校」が適切と判断したのか。

 お願いです。「聾学校」という名を残して下さい。

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 〈聾(ろう)〉 国立身体障害者リハビリテーションセンターの市田泰弘さんは、差別語とされ使われなくなった「つんぼ」から「聾者」へと、「聾者」から「聴覚障害者」へと言い換えが進み、「聾者」という言葉も「もはや使わない差別的な言い方」と誤解されていると指摘する。マスメディアでは「耳が不自由な方」という表現も使われてきた。全日本聾唖連盟の河原雅浩・教育対策部長も「聾であることに私たちは誇りを持っており、私たちの団体名にも堂々と『聾』を使っている」と説明する。 アサヒ・コムトップへ

http://www.asahi.com/life/update/0309/TKY200803090193.html