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2008年02月28日(木) 00時00分

③「畑」に集う若き日の巨匠読売新聞

1959年12月に公開された「少年猿飛佐助」(東映アニメーション提供)

 西武池袋線・大泉学園駅から徒歩10分。畑の中に生まれたアニメ制作会社「東映動画」(練馬区東大泉)は1998年、東映アニメーションと名前を変えた。周囲は住宅街となり、隣にはショッピングモールも建っている。

 スタジオジブリの宮崎駿(67)、高畑勲(72)両監督をはじめ、細田守(40)(代表作・時をかける少女)、りんたろう(67)(同・銀河鉄道999)監督らがここから巣立っている。変わり種はファッションデザイナー鳥丸軍雪さん。後にイギリスに渡り、名声をとどろかせた。

 「宮ちゃんは描くのが抜群に早かった。天才でしたね」。東映アニメーションの吉岡修専務(69)は振り返る。宮崎さんは63年入社。同社の日本初の長編アニメ『白蛇伝』に感動して門をたたいたという。白蛇伝公開は58年10月。映画館は立ち見も出るほどの盛況ぶりだった。

 作画スタッフの大塚康生さん(76)は、何度も新宿の映画館に足を運んだ。めでる気持ちと、プロとして批評しようというのが半分半分。座席に背中を委ねながら、喜びと痛恨をかみしめた。このころ、スタジオでは次回作『少年猿飛佐助』(59年公開)の準備に入っており、白蛇伝での教訓はそこに生かされる。

 ところで、白蛇伝公開後には、ベレー帽に度の強い眼鏡をかけたおじさんがスタジオをのぞきに来るようになる。漫画界の巨匠・手塚治虫さん(故人)である。約4キロ離れた西武池袋線・富士見台駅近くに「虫プロダクション」を設立したのは61年のこと。

 ♪空をこえて、ららら、星のかなた……

 ご存じ『鉄腕アトム』。ジェット噴射でさっそうとブラウン管の中をとんだのは、それから2年後のことだった。

■少年猿飛佐助■ 白蛇伝に続くオールカラー第2弾。真田十勇士の一人として知られる猿飛佐助の少年時代を描く冒険時代劇。檀一雄の新聞小説が原作。米国にも配給され、1960年、ベネチア国際映画祭の児童映画部門でグランプリに輝く。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231203958795871_02/news/20080228-OYT8T00110.htm