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2008年02月13日(水) 20時11分

マスコミ活動の田中被告と健康不安の許被告 産経新聞

 有罪が確定する田中森一被告は昨年、自伝を出版するなどマスコミで積極的に活動するほか、冤罪(えんざい)をテーマにしたシンポジウムにも参加していた。一方、許永中被告は、かつて政界から闇社会まで幅広い人脈を持つ大物フィクサーとして名をはせたが、最後に公の場に姿を見せた平成18年1月の2審判決の言い渡し中に倒れるなど、健康に不安があるとみられる。

 田中被告は昭和18年生まれ。46年に検事に任官、大阪地検特捜部や東京地検特捜部などで勤務し、特捜検察のエースとして活躍した。63年に検事を辞職し、大阪市内に事務所を開設して弁護士として活動を開始した。

 暴力団幹部や「イトマン事件」で実刑が確定した元イトマン常務らの顧問弁護士を務めた。

 上告中の昨年、『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』(幻冬舎)や『検察を支配する「悪魔」』(講談社)などを出版。古巣の検察を厳しく批判していた。また、「上告が棄却されたら弁護士バッジを返上する」などと発言している。

 許被告は昭和22年に大阪で生まれた。仕手戦や企業乗っ取りで、たびたび名前が取りざたされていた許被告の名前が一気に表舞台に出たのは、大阪地検特捜部が平成3年に摘発したイトマン事件だった。

 その後、国会議員との交際など幅広い人脈が明らかになったが、バブル崩壊後は資金繰りに行き詰まり、かつての力は失っているとみられる。

 イトマン事件の公判中の9年、渡航先の韓国で消息を絶ち、11年に都内のホテルで身柄を確保されるまで逃走を続けた。

 また、2審判決で「健康が不安定」と指摘されたように、許被告は1、2審判決とも、言い渡し中に一時、意識を失っている。2審判決では、公判が一時中断。

 刑務官の呼び掛けにも答えられず、大物フィクサーといわれたかつての面影はなかった。

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