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2008年01月01日(火) 00時00分

①戦後復興シンボル、天高く読売新聞

とび職人「世界一」築いた

 東京タワーの特別展望台よりさらに上の、270メートル付近。工事関係者以外立ち入ることの出来ない吹きさらしの鉄塔に、1枚の金属製の碑銘が打ち込まれている。

 風雨にさらされ、一部が腐食した金属板に刻まれているのは、タワー建設にかかわった96人の技術屋たちの名前だ。完成の日以来50年、ずっと上空からこの街の変貌(へんぼう)を見守ってきた。

 名前の一つは「桐生五郎」。昭和33年(1958年)10月9日、26歳の鳶(とび)職人だった桐生は、高さ280メートル付近の仮設鉄塔の上に立っていた。

 足を置くのは幅15センチほどの鉄骨。それが強風で右に左に揺れている。下をのぞけば、重なる鉄の骨のはるか奥に、米粒ほどの同僚の姿と、まだ平べったかった東京の街が見えた。

 前年6月に始まった作業は9割方終わり、後は頂上にアンテナを取り付けるばかりとなっていた。この日は、その最後の大仕事、アンテナつり上げの決行日。だが、強風がなかなかおさまらず、桐生は夜明け前からもう3時間も鉄塔の上でその瞬間を待っていた。

 自分の祝言を1週間後に控えていた。この仕事を無事終えなければ惚(ほ)れた女に顔向けできない。「風よ、やめ」。それだけを念じた。

 明るい話題に事欠かない年だった。長嶋茂雄がプロデビューし、皇太子さまの婚約発表でミッチーブームも起きた。テレビはまだ高根の花とはいいながら、受信契約数は100万件を突破。敗戦から十年余。ようやく復興の足音が聞こえ始めた中で、世界一の高さを目指す電波塔は、日本の成長のシンボルだった。

 碑銘で1人はさんで桐生の隣に名前を刻まれている黒崎三朗(73)は、全国から腕に覚えのある鳶たちが続々とタワーに集まってきたのを覚えている。自身、40メートルの足場から落ちても奇跡的に助かった、「不死身のサブ」の異名をもつ鳶である。当時の鳶の日給は500円、タワーでは750円だった。だが、「金が目的じゃない。みんな世界一のタワーを造りたかった」と言う。

 「いくら見ていても飽きなかった」と言うのは、もう1人、名前が刻まれていた皆野川友孝(69)。施工の竹中工務店の新入社員だった。自分の仕事そっちのけで、いかつい彼らの超人的な仕事ぶりに見とれた。

鉄塔の地上270メートル付近に打ち付けられた金属板。96人の技術者たちの名前が刻まれている

 クレーンなどまだない時代。職人たちは、己の技と勘を頼りに滑車を操り、総量4000トンの鉄骨を組み上げていく。塔の上で柱にもたれて居眠りしたり、梁(はり)の上にとまるハトを捕まえようとしたりする猛者もいた。マネしようとした皆野川は、途中で足がすくんだ。

 そんな強者(つわもの)たちの中でも、いつも「てっぺん」で仕事をしていたのが桐生だった。17歳で鳶になり、鉄橋や発電所など数々の大仕事にかかわってきた桐生は、どんな危険な現場でもおじけづかない鉄の心臓と、周囲に気配りできる冷静さを持ち合わせた男だった。

 その桐生が、この現場では妙に張り切っている。一緒になりたい女性が現れたからだ。当時22歳のみさを。作業の合間に行った見合いで、清楚(せいそ)な姿に一目ぼれした。見合い後、日比谷で映画を見て、チキンライスを食べたが、何を話したかはさっぱり覚えていない。

 すぐ先方に気持ちを伝えたが、返事はなかなか来なかった。みさをには気になる相手がいたらしい。

 意外にも、助け舟を出してくれたのは「タワー」だった。姉に連れられ、現場を訪れたみさをの目に、天に突き刺さる塔のてっぺんを、スイスイと動き回る桐生の姿が飛び込んできた。「この人、すごい人なのかもしれない」。心が動いてしまった。


桐生五郎さん

 脈ありとみた桐生は、すかさず神社の式場を予約する。最後の大仕事、アンテナつり上げの1週間後に——。

 太陽が真上にさしかかったころ、風がぴたりとやんだ。「今だーっ」。長さ約30メートル、重さ数十トンの巨大アンテナが、ゆっくりと持ち上がってくる。桐生は少し震えながら眺めた。

 近くの板の上では、かつて熟練の鳶のマネをして足を踏み外しそうになった皆野川が、なぜかヒョイと逆立ちしていた。

 タワーの仕事を離れてしばらく、皆野川はタワーから転落する夢を見続けた。不死身のサブは、各地で「オレは若い時分にタワーを造った」という鳶に何人も会った。その大半はホラだが、なんだかうれしかった。世界一のタワーへの鳶のあこがれが感じ取れるからだ。

 そして桐生は、無事にみさをと所帯を持ち、今年金婚式を迎える。タワーの仕事に魅せられたみさをは、結婚後もしばらく、桐生の仕事について全国各地を回ったという。

(敬称略、中村亜貴)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231199378046481_02/news/20080108-OYT8T00414.htm