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2007年12月28日(金) 19時20分

<ブット氏暗殺>「支持者思い」の行動がアダに毎日新聞

 パキスタン北部でブット元首相が27日、暗殺された事件の詳細が、次第に明らかになってきた。証言を総合すると、支持者を思う余りに車の防弾ガラスの窓を開け、命を落としたことがわかった。

 「支持者が見送ってくれているのに、置き去りにする形で離れたくない」。それがブット元首相の口癖だった。27日も集会場となった公園から車で立ち去る際、周囲を埋め尽くした支持者に手を振るため車の防弾ガラスの窓を開け身を乗り出した。その直後に狙い撃ちされてしまった。

 元首相が総裁を務めるパキスタン人民党によると、この日は総選挙公示後、初めてのラワルピンディでの決起集会だった。支持者ら2万人近くが詰めかけた。会場となったリアカット・バーグ公園入り口には金属探知機が複数設けられ、支持者らは身体検査を受けた。

 元首相が会場に到着したのは午後4時過ぎ。演壇に上がったブット氏が「国は今、最大の危機に直面している。これを救う手段は民主化しかなく、パキスタンは私を必要としている」と訴えると、「ブット氏を首相に!」という支持者の歓声が地鳴りのように周囲に響き渡った。

 集会は午後5時5分ごろに終わり、その5分後に元首相は会場の外に止めてあった車に乗り込む。政府が用意した複数の警官と私的な護衛ら10人前後に守られていた。熱狂する支持者ら数千人が車を取り囲み、ブット氏の名前を叫び続けた。

 現場は混乱し、だれもが近づける場所で、ブット氏は防弾ガラスを下げ、手を振るために身を乗り出した。

 車には党幹部や広報担当者、秘書ら計5人が乗っており、ブット氏は「定位置」となっていた後部座席の窓側に座っていたという。

 警察の調べでは犯人の男は車から10〜15メートルの場所から自動小銃で元首相の首と頭部を銃撃、直後に自爆した。

 爆弾を身に着け、銃を隠し持っていた男は、会場の外に潜んでいた可能性が高い。ブット氏の集会が終わると支持者が取り囲み、ブット氏が車から身を乗り出すという場面が繰り返されてきており、こうした事情も知り尽くし、銃撃の機会をうかがっていたとみられる。

 当時、助手席に座っていた党幹部は「銃撃後すぐにブット氏は意識を失った」と警察に証言した。ブット氏が搬送された現場から約5キロ離れた国立総合病院の医師は、「首の銃創で呼吸が止まり、致命傷となった」と語り、心肺機能をつかさどる脊髄(せきずい)損傷の可能性を指摘した。

 「民主化」を訴え、その志半ばでブット氏が凶弾に倒れた現場となったリアカット・バーグ公園は、選挙で選ばれた初代首相で父親のアリ・ブット氏が79年、ハク元大統領に絞首刑にされた刑務所からわずか3キロしか離れていない。支持者の多くは貧しい農民たちを救うため「農地解放」を訴え、実現前に処刑された父親の遺志を継ぐことをブット氏に求めていたとされる。その支持者たちの願いも奪われてしまった。

 公園の名前は、建国の父・ジンナー総督の右腕であり、建国時の臨時首相の名だ。政府や政党関係者が大事な集会を開催する際に使用してきた党派を超えた「神聖な場所」として知られている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071228-00000106-mai-int