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2007年12月22日(土) 02時32分

<親鸞>「教行信証」自筆本に未知の書き入れ毎日新聞

 浄土真宗の開祖、親鸞(1173〜1262年)の主著「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」の自筆本である「坂東本(ばんどうぼん)」(国宝)の修復に伴う調査で、つめ跡のように紙面をへこませて文字や印を記す筆記具、角筆(かくひつ)による書き入れが見つかった。漢字の振り仮名や段落の印など約700カ所に及び、すべて親鸞が解釈などを示すために書き入れたとみられる。

 親鸞の思想の核心に迫る日本仏教史上の画期的な発見で、わが国最大の伝統仏教勢力、真宗教団の僧侶や門信徒の信仰のよりどころである根本聖典「教行信証」の刊本はすべて、角筆書き入れの解読結果を反映するよう再検討を迫られる。

 「教行信証」は全文漢文。釈尊の経典やインド、日本、中国の高僧の著作から浄土の教えを示す文章を引いて類別し、親鸞が解釈を加えた。

 坂東本は唯一の自筆本で、6冊約670ページ。紙の傷みがひどく、所蔵する真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)が、750回忌(2011年)の記念事業として03〜04年に文化庁と寄託先の京都国立博物館などの指導で修復した。

 その機会に、書跡研究家の赤尾栄慶・京都国立博物館企画室長と宇都宮啓吾・大阪大谷大学教授(国語学)が調査し、鎌倉新仏教の教典にはないというのが定説だった角筆の書き入れが見つかった。

 角筆による訓(日本語読み)の振り仮名をなぞって後から朱筆の振り仮名が付けられている個所もあり、親鸞が絶えず身辺に持ち、校訂を重ねたと言われる自筆本に、親鸞以外の別人が見えにくい角筆で書き入れたとは考えられないという。

 また、同じ漢字でも字体によって角筆による振り仮名が変わっている部分があり、親鸞が字体によって漢字の意味を使い分けていたかどうかなど難しい解読作業が必要という。

 坂東本には朱筆や墨で音訓や切れ目を示す符号が書き込まれており、親鸞の思想を読み取るために一つ一つの解釈をめぐって研究が重ねられている。より自筆であることが確かな角筆の書き入れが見つかったことで、これまでの研究は根本から見直しを迫られる。

 ◇「教行信証」坂東本の修復を指導した宗宝宗史蹟保存会の会長、広瀬杲(たかし)・元大谷大学長の話

 今回の発見で、根本聖典の読み方や解釈が変わる可能性がある。親鸞が表現したかったこと、思索の内容を伝えるもので、歴史学や国語学など影響は幅広いだろう。角筆が新しい研究方法で見つかったことが象徴するように、今後は真宗史だけでなく、学際的な総合研究が必要だ。

 ◇角筆 先端で紙面をへこませて、文字や記号、図などを記すための筆記具で、小刀や、木、竹、象牙などを削ってはしのようにとがらせたものが使われた。平安時代の高僧らが経典を汚さずに、漢文に返り点などの読み方を書き込むためなどに用いた。しかし、色が付かないため、1961年に小林芳規・広島大名誉教授が注目するまで忘れ去られ、古文献の研究者からも見逃されてきた。

 ◇解説…思想理解、覆る可能性

 音訓、各種の符号、記号など多岐にわたる約700カ所もの角筆(かくひつ)の書き入れが含む情報量は膨大で、親鸞の実在・非実在論争に終止符を打った親鸞の妻恵信尼(えしんに)の消息(手紙)の発見(1921年)に匹敵する新出資料と言える。

 唯一の自筆本である坂東本には、書き直しや墨、朱筆による多数の書き入れがある。一応の完成をみてからも、親鸞が手元に置いて絶えず読み直し推敲(すいこう)を重ねた跡とされ、親鸞の思想が深まっていく過程が投影されている。

 角筆の書き入れの相互関係や、朱筆の書き入れとの関係、本文の漢字との関係など、複雑なパズルを解くような綿密な分析が進めば、成立時期、推敲のプロセスなど「教行信証」が秘めた謎の解明が一気に進み、親鸞の思想の理解が覆る可能性が秘められている。

 親鸞研究の専門家ではない2人が視点を変えて見たことによる今回の発見は、従来の真宗史・真宗学の枠内での研究の限界を突いた形で、学界に与える衝撃は大きい。学際研究体制づくりなど、親鸞研究の方法論の再構築が求められている。【専門編集委員・田原由紀雄】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071222-00000012-mai-soci