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2007年12月02日(日) 12時33分

「マナー」の本当の意味ツカサネット新聞

「マネーにもマナーを」そんなキャッチコピーと一緒に某会社のCMでは色々なマナーが紹介されいている。食事の仕方だったり、名刺の渡し方、お見舞いにもマナーがある。

学生時代や社会人になった時に講座で学ばれた方もいるだろう。私自身も学生の頃に「現代マナー」と言う講座を受けていたことがある。しかしこの時の講師の授業にはかなり抵抗があったのを覚えている。

「ジーパンは作業着。授業を受けるときにする格好ではない。スーツなど正装であるべきです。」
「女性は懐紙を忍ばせておくもの」
「公の場では女性は帽子姿でなくてはならない。皇太后様もいつもかぶっておられるでしょう?」

貧乏学生だった私は、ほぼ毎日Tシャツとジーンズの組み合わせ。それがスーツを着ろとは…。そして懐紙!?公の場って??皇太后さまって!!??
時代錯誤も良いところじゃないの?これが現代マナー???とかなり憤慨したことを覚えている。今ではさすがに懐紙は持っていないし、公の場に出ることもまずないのだが、その時の内容を知識の一つとして得たこととしては、まぁ悪くなかったかもしれないとは思えるようにはなった。

入社時もマナーの講座があった。
この時の講師が、外見が美しい女性を褒め称え、地味な女性を批判しまくっていた。良い悪いは別として、社会では見た目もマナーの一部になるのかと思い知らされた講座であった。こういった経験から、あまり「マナー」を語る人に好意をもてなくなった。

入社してから数年後、また会社でマナーの講座が開かれた。
内心うんざりしながらも講座に受けると、そこには今までとは全く違う内容の授業があった。「人は誰しも大事にされたい、と思っています。マナーとはそういう「人の気持ち」を大切にして、接することです。」講師が言った言葉である。この言葉にはっとさせられた。沢山のマナーが存在する。しかしそう言ったマナーは何に繋がるのか?
それは、私はあなたに対して敬意を払っています、尊重します、そんな「気持ち」の現れが「マナー」と言うものを生み出してきたのである。

現代の人々はこの本来の意味を忘れ、ただ「マナー」だと教えられてきたことをすれば良いのだと考えてはいないだろうか?ただ社会的立場上、偉い方にはこう接する。年齢で上の人に、こう接する。それは確かに、見た目では「マナー」ではあることには違いないのだが、そこに大きな見落としがある。

それを感じさせる出来事が先日あった。
ある会議へのお茶出しを手伝って欲しいと後輩の女性から頼まれた。彼女が先頭で会議室に入ると「失礼します!」と大きな声で挨拶しだした。そして退室する際も「失礼しました!」いずれも、会議出席者が発言している最中であった。

退室後、ああいう場合は一礼するだけの方が良いと後輩女性に言うと「マナーの講座できちんと挨拶しなさいと言われました」と反論された。
どういった状況でのそのマナーなのかは定かではないが(もしかして入社試験等の面接室に入る時では?と思ったのだが)、彼女の頭には「部屋に入る際ははっきりとした声で挨拶する」と言うマナーがインプットされているようであった。
形、方法に捕らわれて、全くその状況を把握することなく、また当然配慮も出来ず、自分が正しいと思うことのみを行った彼女。彼女が大げさ過ぎるとお思いかもしれないが、実のところマナーを丸飲みして実践している若者は少なくはない。そして皆同じように「そう習った」と答えるのである。

「マナー」とは人に対しての思いやりの現れ。
心を失った「マナー」は、非礼に繋がることをしっかりと覚えておきたいと思う。




(記者:さっちん)

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