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2007年10月21日(日) 19時59分

「光クラブ」設立前夜の日記を発見 服毒自殺の山崎晃嗣朝日新聞

 敗戦間もない混乱期にヤミ金融会社・光クラブを経営し、社会問題となった末に服毒自殺した東大法学部生・山崎晃嗣(あきつぐ)(1923〜49)の日記が見つかった。金融業を始めてからの日記は死後に明らかになっているが、今回わかったのはそれ以前の1年半余の分。強い虚無感と軍隊での上官への報復心などが克明に記されていた。光クラブ事件を生んだ山崎の心理を生々しく伝えるものだと研究者は注目している。

 今年の夏に、古書店が入手。26日から東京・神田で始まる古本まつりに出品される。

 日記は、大学ノート3冊に記されたもの。46年3月24日に、「楽しいから生きてゐる。楽しみがなくなり苦しみが生じたら死ぬばかりである。生命などといふものは要するにつまらないものである」と書き出していた。

 学徒出陣した山崎は、陸軍主計少尉となり北海道で終戦を迎えた。管理していた米や砂糖などを横流ししたとして、45年12月に横領容疑で逮捕された。執行猶予判決で翌年2月に釈放され、日記は3月に千葉の実家に戻った直後に始まる。

 横流しを命じた上官の名前は捜査や裁判でも一切語らなかったとされるが、日記の2日目には上官への報復の思いを書き付けていた。犯行を暴露するぞと脅し、横流しした中から砂糖1袋、バター1箱、缶詰1箱をよこせと要求した手紙の写しや、現金を恐喝する計画が綿密に記録されていた。理不尽な軍隊組織への強い怒りを漂わせている。だが、恐喝が成功した形跡は見あたらない。

 投獄時の回想もある。「腹がへった。ものすごく寒かった。死んだ方が楽だと思った」として自殺を試みるが、「しくじった。やっと反省の心が生じた。何の定見も何の生甲斐(いきがい)もなかったと思った」。

 商売を始めようとの意図も見える。北海道の軍用物資を転売、あるいは古切手を販売することを考えていた。

 生活が落ち着くと復学し、大学へ通う日常が登場する。全優をめざして勉強した内容のほか、「友人と会話」「思索」「雑念」などと分刻みで記録。それらの行動を、有益、中立、無益などと分類し、それぞれ何分だったか集計していた。

 3冊目の日記は、47年12月に終わっている。

http://www.asahi.com/national/update/1020/TKY200710200181.html