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2007年10月16日(火) 10時35分

裁判員制度いらない──最高裁が宣言!?オーマイニュース

 市民に大変不評の裁判員制度。法曹界ではその意義を前面に押し出して、総出での宣伝に躍起になっていますが、10月上旬、最高裁はこの理念に反する決定を下しました。

 ある強盗強姦罪の上告審で最高裁第一小法廷の5人の裁判官が激論を戦わせました。事件は一審判決に対して検察側が不服として、控訴し、二審では一審判決が破棄されて検察側が逆転勝訴。それを弁護側が不服として、最高裁に上告したものです。

 最高裁では2人の裁判官が「二審判決を破棄しなければ著しく正義に反する」と反対意見を表明したのに対して、多数派3人は「最高裁では書面審理だけなので事実関係に深入りすべきではない」「不確かな前提に基づいたり、二審で取り調べられていない証拠を引用したりしている」などとして、結局、上告棄却の「決定」となったわけです。(「決定」は10月10日付。以上、10月13日アサヒコム、「最高裁審理どうあるべきか 5判事大激論 強盗強姦事件」から)

 さて、強盗強姦罪は「裁判員制度対象事件」です。この裁判の経過を考えると、仮に、一審が裁判員裁判で行われたとすれば、検察官控訴による二審で、その結論を破棄、すなわち、裁判員制度の意義が反故にされるということです。

 諸外国のこれに類する制度では、アメリカの陪審制度など、特に事実誤認を理由とする検察官控訴は厳しく規制されています。

今回の強盗強姦罪のケースは第一小法廷判事のうち2人が「二審を破棄しなければ著しく正義に反する」という意見を述べるほど、事実関係では怪しい問題があるにも拘らず、最高裁審理の大原則という法律的論理に則って(二審が事実問題でも妥当と述べたのは1人だけ)、二審による「裁判員制度の意義を反故にする行為」が追認されたわけです。

 裁判員制度が本来目指した理念を考えると、諸外国のこれに類する制度では最も検察官控訴を避けるべきケースで、検察官控訴が行われ、それに最高裁による「お墨付き」までが与えられたというわけです。

 現実に検察官控訴が行われた場合、原審判決が破棄されて、検察主張が認められる確率が高いというデータもあるので、いかに裁判員が一審で被告側に有利な判決を出そうとも、控訴審で簡単に反故にされるのは目に見えています。

 そして今回、最高裁で検察官控訴に「お墨付き」を与える判断を下したということは、裁判員制度に参加する意義など何一つないということを、最高裁自らが宣言したことと全く同義といえます。

 最高裁は表向き市民が参加する意義を盛んに宣伝していながら、裁判員制度の意義を滅却する判断を下すのでは本末転倒です。

 当然のことながら、私が裁判員に指名されそうになれば、今回の判例を盾に、裁判員制度の意義など何もないことを強硬に主張して徹底抗戦します。

(記者:柴崎 仁志)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071016-00000001-omn-soci