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2007年10月02日(火) 10時12分

わずかな金額でも窃盗 「1円」の存在感ツカサネット新聞

電子マネーやポイントカードが財布にあることで、小銭を持ち歩くことが減った人も多いのではないだろうか。財布の中にあっても、帰宅すればビンの中に貯めておく。これが気付いた時にはいっぱいになっている。これまで1円玉の存在感をあまり気にすることはなかった。街中を歩いていて、1円玉が落ちているのに気付いて通り過ぎても、そう残念に思うことはなかった。

この9月、そんな1円の存在感を意識させるニュースが数多くあった。それは、たとえ1円でも犯罪は犯罪ということである。

道に落ちているお金を拾って、それを届け出なければ犯罪となる。先週、神戸市須磨区にある団地の一室の玄関のドアノブに現金250万円が入ったポリ袋がかけられているということがあったが、こうしたものを届け出なければ今度は罪に問われることになる。名古屋では造成地から今年3月に見つかった現金5000万円が遺失物法の保管期限(6か月と14日)を過ぎたために、発見者に引き渡されたということもあった。

それがたとえ1円であったとしても、それを自分のポケットにそのまま入れてしまうと、厳格に言えば、拾得物横領に問われることになる。私が子供の頃には、落ちていた10円や100円を交番に届ければ、お巡りさんが「ありがとうね」と言って自分のポケットからお金を出して渡してくれたということもあったが、今ではそんなことも許されなくなっているのだろう。

1円でも窃盗は窃盗として、大阪では中学生の少年が窃盗容疑で書類送検された。その少年はコンビニの外壁にあるコンセントを無断使用して携帯電話の充電をしていた。15分間の充電で、被害額は1円で、大阪の警察署は「法律に従って手続きした」とコメントしている。

小さな事件を放っておくと、それがいずれは大事件を引き起こすという「破れ窓」理論というのがあるが、最初は些細な動機でもこれが後に大きな事件を引き起こすこともあろう。悪いことは悪い。それがたとえ1円でも犯罪は犯罪なのである。

そう考えると、1円どころか数十万円から1千万円以上を年金から横領・着服していたという事件では、「悪いことは悪い」という当たり前のことが通用しなかったことに最も大きな怒りを感じる。政治でも、事務所費が問題になっている。国民の信頼回復のために出てきたのが、「1円領収書」である。この「政治とカネ」を巡る問題が先の参議院選挙での争点となり、自民党は大敗を喫した。これで「1円領収書」の添付は義務付けられることになったが、この問題はまだくすぶっている。

1円でも領収書。それはたとえ1円でも税金は税金ということである。納税者の立場からは、1円でも大切に使ってほしいものである。1円は1円。たかが1円である。しかし、1円でも犯罪は犯罪で、無駄遣いは無駄遣いなのである。


(記者:小笠原 俊)

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