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2007年09月17日(月) 06時42分

進化する裁判リード読売新聞

鹿児島地裁・家裁所長 井上繁規さん57歳

趣味のシュノーケリングについて語る井上さん(鹿児島地裁で)
 法曹を志したのは、高校3年生の時。必要な証拠を捜して「攻める」検察官や弁護士ではなく、双方から提出された証拠を吟味し、「勝つべきものに勝たせる」裁判官の仕事が、魅力的に映ったんです。初任地は千葉地裁で、成田空港建設を巡って、推進派と反対派が激しく対立する成田闘争の真っ最中。刑事、民事ともに事件も多く、新人の左陪席裁判官ながら、民事事件を年間120件も担当しました。法律の知識も未熟で、今なら30分で書ける文書を書くのに、5時間くらいかかっていました。現在の鹿児島地裁では、左陪席裁判官の担当は年間40〜50件程度だから、殺人的なスケジュールでしたね。

 《任官3年目には、空港開港にかかわる大きな決定をしたために、反対派から3000万円の国家賠償請求訴訟を起こされた》

 目の前で、火炎瓶が飛び交うようなこともありました。怖かったですよ。半年間、セキュリティーポリス(SP)がついてくれたけど、食事もトイレも一緒で、20歳代半ばの若者にはこたえました。法の解釈が難しいうえ、迅速な決定が求められていた。3人の裁判官が知恵を絞った決定には自信があったけれど、裁判官の責任の重さを実感しました。きつい洗礼でしたが、おかげで度胸はつきました。

 《1991年から、裁判所調査官として最高裁に勤めた。数多くの事件を抱える最高裁判事の手足となって審理を補助する立場で、様々な判決にかかわったことが、裁判官としての視野を広げてくれた。東京地裁で交通事故を専門に扱う民事27部長だった99年には、交通事故被害者の「命の値段」の地域間格差の解消をしたいと、名古屋、大阪の両地裁と共同提言を出した》

 55年ごろから、交通事故被害者の遺失利益の計算方法が、「東京方式」(ライプニッツ)と「大阪方式」(ホフマン)に分かれ、同じ年代でも2000万円近い差が開くため、格差解消は法曹界の長年の悲願となっていました。幸い、交通専門部を持つ名古屋と大阪の地裁の交通担当部長とは友人。3人で相談し「おれたちが統一しなければ、もうチャンスはないかも知れない」と決めたんです。数学的に正しい東京方式を採用するため、各裁判所と弁護士会を必死で説得しました。大阪の弁護士会は、自分たちのやり方に愛着があったようですが、最後には納得してくれました。現在では、全国の裁判所が、東京方式を採用しています。

 《昨年7月、鹿児島に赴任した。志布志の「踏み字」訴訟や、準強制わいせつ容疑で逮捕され不処分となった少年事件など、警察や検察の捜査が問題とされる事案が続き、司法のあり方にも注目が集まっている》

 裁判も進化しています。以前なら、県警の誤りを認める判決は難しかったかも知れないが、普通の人が考えて、納得できる判決を導くのが、今の裁判の流れ。司法制度改革で導入される裁判員制度もその一環で、より常識的な感覚を法廷に取り込むことが狙いです。ただ、弱者の味方をすればいいというものではない。独りよがりな判決では、上級審でひっくり返され、時間とお金がかかるだけ。きちんとした判決を書いて、原告被告の双方と、上級審をも納得させることが求められます。裁判に持ち込まれる事件の7割は、誰が裁判官をしても法律に照らせば結論は明らかですが、残りの3割は、法律をどう解釈するかで判決が変わるデリケートな事件です。ですから、「勝つべきものに勝たせる」ために法廷をリードしていくのが、これからの裁判官の役目だと思っています。(聞き手・角亮太)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/news001.htm